時を刻む魔術師、永遠の画家ヨハネス・フェルメール

COLUMN

今回はここ日本でもとてもファンが多いことで知られる17世紀に活躍したオランダの画家ヨハネス・フェルメールについて取り上げます。

“山と星のブログ” として主に北アルプスをはじめとした山の写真や星景写真、星野写真の撮影記などが中心の当ブログで何でフェルメール?と思われるかもしれませんが、実は私が写真を撮るうえで、または作品を仕上げるうえで多くのインスピレーションをもらい、多大な影響を受けた画家の代表がまさしくフェルメールでした。

(目次)

  • フェルメールの生涯
  • 本物に触れる
  • 『真珠の耳飾りの少女』
  • 『牛乳を注ぐ女』
  • 『デルフトの眺望』
  • カメラ・オブスキュラ
  • フェルメールに学ぶ『作品作りとは何か』

フェルメールの生涯

フェルメールは1632年にネーデルランド(オランダ)のデルフトに生まれ、残念ながら43歳という若さで亡くなっています。織物職人であった父親はパブや宿屋などの経営をしつつ画商としての顔も持っていたことからフェルメールも絵画の世界に入っていったと思われます。

のちにカタリーナ・ボルネスと結婚、聖ルカ組合の画家として活動。2人には15人もの子供が生まれましたが画業だけでは養うことが出来ず、カタリーナの実家で裕福な母親とともに暮らしています。
父親の死後はその家業であるパブ兼宿屋を継ぎ、いわゆるパトロン(ピーデル・ファン・ライフェン)や裕福な義母のおかげもあり絵には好きなだけお金をかけることが出来たと言われています。当時とても高価な鉱石であったラピスラズリを原料とするウルトラマリンをふんだんに絵に盛り込むことが出来たのはこの辺りの背景があったからのようです。

フェルメールはとても寡作な画家で年間に数点しか仕上がらなくても問題がなかった非常に恵まれた環境だったようです。全盛期にはピーデル・デ・ホーホとともに『デルフト派』と呼ばれ、のちに人気を博しました。

『The Visit』(ピーデル・デ・ホーホ)

しかし戦争(第3次英蘭戦争)が勃発してからはオランダ経済の低迷などもあり作品が売れなくなってしまい、その後は負債が膨れ上がり43歳で死去(原因は不明)。

本物に触れる

先述しましたがフェルメールは日本でもたいへん人気で有名な画家ですし、それこそ美術の教科書にも彼の作品は載っているくらいですから私自身も彼の作品は若いころから目にしていました。その時はそれほど強い印象は残りませんでしたが、たまたまフェルメールの回顧展で彼の作品を目の当たりにしたときにその圧倒的な絵の存在感に衝撃を受けました。

もちろん回顧展で目にしたのはコピーやレプリカではない、まさに彼が絵筆をとって描いた本物の作品。

『なんだこれは…、今まで画集やポスターで見てきたものとは全然違う!』

そう、その美しい色彩や作品そのものの質感はもちろん、その絵から放たれるエネルギーや光に満ち溢れたそれは言葉に出来ぬほどの力を感じました。

『これが本物の作品なのか…!』と。

そんな衝撃的な出会いから私はフェルメールの作品を鑑賞する機会があるときは可能な限り足を運ぶことにしています。

『真珠の耳飾りの少女』

フェルメールの作品の中でもっとも有名と言われるであろう代表作がこの『真珠の耳飾りの少女』でしょう。現在はオランダのマウリッツハイス美術館に所蔵されています。制作年は1665年あたりと言われていますが、正確な時期は分かっていません。

『Girl with a Pearl Earring』(ヨハネス・フェルメール)

モデルは謎とされており彼の娘や妻、恋人、さらには彼の創作など諸説あります。かのレオナルド・ダ・ビンチ『モナ・リザ』とともに肖像画の歴史的傑作と言われています。

私は幸運にも2012年に開催された『マウリッツハイス美術館展』でこの作品が来日した際に目にすることが出来ました。とにかく混み合っていた展覧会だったという印象が残っていますが、本作品自体は特別室に展示され、思っていた以上に小さな作品でした。

しかしこの絵と向き合ったときにその存在感のとてつもない大きさに圧倒され、まるでその場でモデルの少女にその艶やかな唇から何かを語りかけられたような錯覚を思えるくらいに引き込まれたのを今でも鮮明に覚えています。時間を巧みに捉え、それをキャンバスの中に封じ込め、永遠とも思える一瞬を作品に込めたような、時間と空間を超越したフェルメールの真骨頂ともいえる作品かと思います。

黒背景に浮き上がるように実にシンプルに描かれた作品ですが、それが逆に絵と1対1になれるような感覚を覚えました。青いターバンが印象的な作品で西洋的でもありかつ東洋的でもあり、実に抽象的なイメージで国土風土を越えて愛される魅力の一つの要因ともなっています。

↓ マウリッツハイス美術館の公式サイト(日本語にも対応)。
マウリッツハイス美術館

この絵を題材に2003年にイギリスとルクセンブルグの合作で映画化もされています。内容的にはあくまで映画的でドラマ性のあるフィクション作品であり、個人的にはあまり好きになれない少しあざとい脚本に感じましたが、映像はとても美しくて17世紀のオランダの雰囲気やフェルメールのアトリエの再現性など一見の価値があります。

『牛乳を注ぐ女』

こちら『牛乳を注ぐ女』もフェルメール作品では代表的です。
現在はオランダのアムステルダム国立美術館に所蔵されています。制作は1657年ごろと言われています。こちらの作品は過去最大といわれた2018年の『フェルメール展』で鑑賞することが出来ました。

『The Milkmaid』(ヨハネス・フェルメール)

いわゆる当時良く描かれていた日常を描く風俗画のひとつですが、先述の『真珠の耳飾りの少女』とは違い情報量の多い作品。牛乳瓶はもちろんテーブルにあるパンやバスケット、壁にかけられた籠とランプ、足元の四角い足温器、そしてタイルなど。

深く読み解くと様々な要素が巧妙に盛り込まれた作品ですがそれらの解説は専門家に任せて、私はとにかくこのメイドが身につけている青いエプロンの “色の質感” に驚きました。実物とそれまで見ていた画集やポスターとの違いをもっとも強く感じた作品でもあり、この『青』の表現はまさしく彼の代名詞『フェルメールブルー』そのものでした。

多くの画家は青を表現するのに鉱石アズライトや植物由来のインディゴなど比較的安価な顔料を使用するのが一般的だったと言われていますが、高価なラピスラズリを原料とするウルトラマリンの深く輝かしい色合いはこの作品を一層際立たせる要因となっています。この作品の青の表現が一般的な青の表現であったならおそらくこれほどの名画とはなっていないのではないでしょうか。

ラピスラズリ
ラピスラズリは貴重な天然鉱石で欧州では産出されず、当時はアフガニスタンで産出されたものを輸入していたためたいへん高価な材料でした。“ウルトラマリン” とは “遥か海を越えた” というのが由来で、当時は金よりも高価だったと言われています。



『デルフトの眺望』

フェルメールが残したの風景画の傑作のひとつがこの『デルフトの眺望』。現在は『真珠の耳飾りの少女』と同じくオランダのマウリッツハイス美術館に所蔵されています。制作年は1660年ごろと言われていますが、こちらも正確な時期は分かっていません。

『View of Delft』(ヨハネス・フェルメール)

室内画がほとんどのフェルメールが残した数少ない風景画で、地元のデルフトの眺望を題材として描かれています。残念ながらこの作品はいまだ日本には上陸したことがなく、私は実物を鑑賞したことはありませんが、私が風景写真(山岳)を撮影する際にこの作品の構図の影響を受けました。画面の上半分以上を大胆に空に使い、雲を印象的に、躍動的に表現しています。上部の雲は暗く描かれており、絵全体を引き締まった印象に仕上げています。

画面中央部、雲の傘で日陰となっている手前側の建物と、日光が当たっている奥側の建物の明るさだけでないコントラストの違いなども興味深いです。建物とその影の位置関係からしておそらく実際に目で見た風景では手前側の建物はもっと暗く落ち込んで見えると思われますが、ある種現代的とも解釈できる “HDR的” に描かれています。

フェルメールと同じ時期に活躍したオランダの風景画家ロイスダール(ライスダール)の風景画に通じるものもあり、私が山岳撮影するときの構図決めの多くは彼らの構図をモチーフとしています。

『Bleaching Ground in the Countryside near Haarlem』(ヤーコブ・ファン・ロイスダール)

直近の撮影山行で撮影した北アルプス雲ノ平の夕景の作品『紅を紡ぐとき』はまさにこの構図を参考にした撮影になりますし、現像作業においてもどこかしら影響を受けていると自己分析しています。

『紅を紡ぐとき』

カメラ・オブスキュラ

フェルメールの技巧の特徴と言えば『フェルメールブルー』ともうひとつ『カメラ・オブスキュラ』が挙げられます。

彼の作品は非常に写実的で “写真” のようなイメージングを感じるのはこのカメラ・オブスキュラを使用して絵を制作していたからとも言えます。カメラ・オブスキュラとはピンホール現象を利用した原始的なカメラ装置で、大きな箱(または暗室)の一面にレンズを組み込みそのレンズを通った光が反対側の面に投影され(上下反転)、それをなぞって下絵を描くというものです。

カメラの原点『カメラ・オブスキュラ』

フェルメールはデッサン(下絵)が一切残されていないと言われていますからこのカメラ・オブスキュラを作品のすべてに使用したのではと考えられています。室内画がほとんどのフェルメール作品はこのあたりのことも関係しているのかもしれません。私にとって写真を撮るうえで彼の作品に影響を受けたのは言ってみれば必然なのかもしれません。

フェルメールに学ぶ『作品作りとは何か』

私はフェルメールの作品から青の独特な表現や諧調の大切さ、写実的で遠近法を活かした構成、そして構図など多くを学びましたが、作品を制作する上で決して妥協を許さない作品に対する誠実さのようなものも同時に学びました。

彼の生涯に触れた項でも書きましたが、全盛期のころは金銭的にも恵まれ作品にお金や時間を惜しみなく使うことが出来ました。もちろんお金と時間さえかければ良いというものではありませんが、自らが納得するまでは決して完成としない職人気質的な姿勢はもちろん画業としてはなかなか成立させることが出来なかったことでしょう。

『絵画芸術』(ヨハネス・フェルメール)

オランダ経済の傾きもあったにせよ後半はその寡作であることも原因で多くの負債をかかえ、彼の死後、妻は自己破産。彼の才能をもってしてみればもっと多くの作品を世に出せていたはず。そうすれば裕福な生活を続けるのも可能であったかもしれません。しかし自らの作品表現に対し誠実であるが故、画家としてそれが出来ずにいたのではないでしょうか。今となってはそれもひとつの彼独自の希有な才能だったのかもしれません。

・ ・ ・

今回は簡単にフェルメールの傑作数点を取り上げつつ彼の並々ならぬ才能と情熱を紹介いたしました。写真と絵画ではジャンルが違いますし、なかなかその受けた影響を写真作品に投影さえることは難しく思っていますが、間違いなく自分の撮影や作品作りの大きな糧になっています。

残念ながら現状では世界の名画に触れることが難しくなっている世の中ではありますが、今後も彼らの作品を目にすることが出来る機会があったら出来るだけ足を運びたいと思っています。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
今回の記事は以上になります。