『新穂高から室堂へ、憧れだった53km』夏の北アルプス縦走5泊6日(赤牛岳・読売新道) 前編

PHOTO TOUR

新穂高~双六岳~鷲羽岳~水晶岳~赤牛岳~平ノ渡~五色ヶ原~室堂

2026年夏、新穂高温泉登山口から立山室堂を結ぶ50kmを越える憧れだった北アルプス縦走路をゆく。天候不順に見舞われながらも多くの方々に出会い、そして助けられ、自身未踏の赤牛岳や読売新道、平ノ渡し船を経て天空の地、室堂へ。すべてが初めてづくしの5泊6日、総距離53kmにわたる長期北アルプス縦断山行記。
前編は事前準備や山行計画、そして山行初日から2日目の幕営地となった三俣山荘テント場まで。

(前編目次)

  • 山引退前の宿題
  • 山行前の準備
  • 山行計画大綱
  • Day1 新穂高温泉登山口~鏡平山荘
  • Day2 鏡平山荘~三俣山荘テント場
  • 備忘録(経費)
※本サイトはAmazonのアソシエイトとして適格販売による収入を得ています。

山引退前の宿題

写真から“体験”へのシフト

幾度となく本ブログでも表明しているとおり、私は北アルプスをはじめとした岩稜帯の多い高山を含む縦走登山に関しては、自らの体力や判断力を鑑みていずれ引退するつもりでいる。やはり昨今の山の事故のニュースをみていると圧倒的に高齢者が多い。残念ながら私自身もそのような方々の年齢に確実に近づいている。
もちろん体力や一瞬の判断力、反射神経などは個人差というものはあるとは思うし、私自身も日々鍛錬を積んでいるつもりではあるが、私は自分に自信を持てなくなったら潔く山を辞める。山で遭難や事故に遭うこと、そして救助となれば多くの方々をさらなる危険にさらし、最悪、2次遭難をも引きおこす原因となることも考えられる。何より私は山に命をかけるつもりはないし、そうであるべきではないという大きな理念を持つ
だからまだ歩ける年齢のうちに可能な限り未踏の地をこの足で歩いてこの身体で山を感じたいと思っているし、本格的に山を歩き始めた若いころに登った山をこの年齢で改めて登って山への理解をさらに深めたいと思っている。山を引退した後に後悔したくないからである。

それまで山へはその美しい雄大な風景を写真に収めたいという理由で歩いてきた側面もあったが、ここ数年はその理由が少しずつ変化してきている。というのも、私はどうも過去に撮影したそのような写真を改めて振り返ったり、それを見返して自ら悦に入ったりするタイプではないことに気づいたのだ。写真という形態で残すよりも己の “心” の深くに刻むように残すほうが実は尊いのではないかと最近は思ってきているのである。
そう、つまり形になど残らない “体験” そのものである。

今思うに、少なくとも私に限っては写真撮影を中心としてしまうと、そのことばかりに気がとられてしまって本来の山の貴重な体験を取りこぼしてきたように感じるのである。もはや私は自らが撮影した写真というものを第三者に対してはおろか、自分でさえも見なくなってきている。それならもうその “足枷” を取り払って、のびのびと今までできなかった “山行体験” をしてみたいと思うようになってきているのである。

険しくも憧れのコース

実は私の中で山を引退してしまう前にぜひとも歩いておきたい未踏の山やコースがいくつかある。ブログ記事にはしていないがそのうちのひとつであった『薬師岳』は室堂を起点に五色ヶ原、スゴ乗越、そして山頂から太郎平と歩いて折立へと抜ける縦走というかたちで2年前に歩くことができた。北アルプスでもっとも美しいと言われるこの『薬師岳』は単に折立などからピストンで登頂するよりも、絶対に縦走というかたちで登りたかった。しかし過去幾度にわたって計画したことはあったがいずれも天候不順で中止となってずっと “棚上げ案件” となっていたが、2年前に無事歩くことができてホッとしている。

2024年8月の薬師岳縦走の一コマ

そのほかまだ見ぬ未踏の山やコースとして北アルプス山域では『笠ヶ岳』や『朝日岳』、『下ノ廊下』などがあるが、なかでも “憧れ” にもっとも近いのが『赤牛岳』と、そこから延びる長大な『読売新道』、そして黒部湖を対岸に船で渡す『平ノ渡し』の存在である。
それらの存在を知ったのは実はずいぶんと昔で、テント泊を始める前、まだ北アルプス初心者といえる時期に、とある山小屋に宿泊していたときに同部屋だったベテラン登山者から聞いた冒険譚のひとつであった。私はそのベテラン登山者がこのコースをまるで少年のように目を輝かせて話してくれたことを今でも覚えている。山登りなのに途中で船に乗るというその何とも魅力的なコースをいつかは行ってみたい、と当時まだ初心者ながら強く思い、紙の登山地図を指でなぞったことを覚えている。
それらの存在は言ってみれば山を辞める前の私の “宿題” といえる。もちろん読売新道を含む赤牛岳の縦走は北アルプスの一般ルートのなかでも有数なタフさと言われるコースだけあって、やるなら先延ばしにするよりも最も年齢が若い “今” 行くべきコースだと思ったのだ。

毎年のことではあるが、この年齢や体力の低下、そして山に対するモチベーションの減衰を考えると、つねに「この縦走が最後かもしれない」と思うのであるが、それは決して大袈裟な話しではないのである。

山行前の準備

軽量化

このコースを踏破するにはまず軽量化が必須条件と思った。今までのように撮影に比重を置いた山行装備では機材を含めると25kg近くにもなる。もちろん昨今のミラーレス化されている撮影機材自体の軽量化も進んでいるが、それでも20kg以内に抑えるのは私の場合は難しいし、そもそも自分の体力を考えたらそんな装備で歩くようなコースとは思えなかった。もちろん今回は “体験” そのものを重視しているから撮影機材を極端に減らせば軽量化は図れると思うが、今回はそれを徹底した。

先ず撮影機材自体が減るわけであるから、単純にザックをもう少し小ぶりで軽量なものへチェンジすることにした。長期山行で最近使用してきたお気に入りの大型ザックであるカリマーの『クーガー75-95L』はそれ単体だけで “2.2kg” とかなり重い部類なので、今回の縦走を機に新興メーカーであるRabの50Lザック『Muon50』に変えた。このザックは自重が1kgをわずかに下回るのでこの変更だけで実に “1.2kg” も軽量化できたのである。決してザック自体の重量を侮るなかれ。

※カリマー『クーガー75-95L』のレビュー記事はこちら ↓

karrimor cougar 75-95 (撮影山行ザック考)

もちろん軽いだけで背負ったときに自分にフィットしていなければ逆に疲れるだけだが、店頭で試してみたらまずまずのフィット感を得た。最近よく目にするどのメーカーの軽量ザックも自重を可能な限り軽くするために工夫されているものだが、破損リスクを考えるとそもそも20kgを超えるような重量を想定して設計されていないものが多い。それはつまり荷物の取捨選択をユーザー側で積極的にやっていくしかないということでもあるわけだ。あれもこれもザックに詰め込むようなことができないからこそ、より軽量化に繋がるというものである。
今まで使用したカリマーやドイターは武骨で頑丈であったが故に、私の場合多くのものを詰め込み過ぎていたきらいがある。(そもそも個人的に武骨で頑丈な作りのものが好みということもある)

本山行のために軽量ザックであるRab『Muon50』に変更

ただ残念ながらこの『Muon50』だと今まで気に入って使ってきたサーマレストの折り畳みマットを上手く外付けすることができず、個人的に好きではないエアーマットに変更しなければならなかったのが残念だった。ちなみに新規に手に入れたエアーマットはシュラフメーカーとして知られるイスカのものを購入したが、結果的にはいまのところまずまず気に入っている。ザックカバーはザックの容量を考慮してモンベルの汎用品を別途購入した。

※Rab『Muon 50』の詳しいスペック等に関しては下記公式ページよりご確認ください。 ↓
Muon 50 |Rab
次にテントも変更した。
そもそも今まで酷使してきた我がテント、アライテントの『エアライズ2』は経年劣化が目立ってきていた。買い替え時期でもあったので今回を機にかなり高額な出費となったが、思い切って使い慣れている同アライの新しいモデルである『SLドーム』を購入した。ほかにも各種メーカーから同じくらいの軽量なテントはいくつか出てはいたが、それまでのメーカーへの信頼と経験則を優先してこのテントを選んだ。

テントも『エアライズ2』から『SLドーム』に変更

『エアライズ2』から若干高さが低くなっているがほぼ同サイズで “500g” ほど軽量化された。そして軽量化は当然ながら生地が明らかに薄くなっているわけだから、『エアライズ2』よりも収納時にたいへんコンパクトにもなる。ざっくり言うと『エアライズ2』の本体のみの収納時の大きさと『SLドーム』の本体とフライをまとめた収納時の大きさが同じくらいである。これも重量と同様に大きな利点で、つまりザック自体も大型なモデルではなく中型といえる『Muon50』に楽々収納できるというわけである。
そのかわり本体底面の生地も『エアライズ2』と比較すると心配になるくらいに薄いのだが、本製品には標準でアンダーシートが付いている。アンダーシートを毛嫌いする方も多いとは思うが、私は本体底面の保護と過度な汚れの防止という観点で『エアライズ2』でも使ってきたので、この分の重量増は問題にならなかった。

これを執筆している現在、直近のアライテントの製品ラインナップではこの『SL』シリーズよりもさらに新しいラインである『ライトエアライズ』シリーズもリリースされているが、出入り口の位置による使い分け (『SLドーム』は長辺側、『(ライト)エアライズ』は短辺側に出入り口がある) も考慮した。

本山行を終えてみて実際の使用感は良かったし、雨風の強い状況でも信頼出来るテントであると感じた。軽量さ・コンパクトさに関しては申し分なく、もはや『エアライズ2』には戻れない、戻りたくないとさえ思える。しかし一部残念なことがあって、それは後編にて詳しく報告したい。

※『SLドーム』の詳しいスペック等に関しては下記公式HPをご覧ください。↓
SLドーム|株式会社アライテント
さらにコッヘル、つまりクッカーも買い替えた。
それまでモンベルのアルミの深型タイプを使ってきたが、最近は調理らしいこともしなくなったこともあってお湯さえ沸かせればいいと思っていた。ということでエバニューのチタン製の鍋型のクッカーに変更。チタンは熱伝導がアルミに比べて悪いので調理には向かない。つまり炎が当たった部分だけが熱せられて食材が焦げやすいのだが、逆にアルミに比べて強度があるので薄く成形できるので軽量になるという利点がある。私のようにお湯を沸かしたり、麺を茹でるだけであれば軽量なチタンで十分である。

公共交通機関の手配

さて、今まで私は登山口へはそのほとんどを自家用車を使ってアクセスしてきた。山に行く目的が撮影中心だったことがその主な理由だが、山行自体の多くを縦走スタイルではなくピストンや周回コースで設定して歩いてきたからである。今までは撮影適地、つまり自分の目的や好きな撮影地にさえ行ければ良かったのでわざわざ縦走スタイルにする必要がなかったからである。

振り返ってみるに、縦走登山となると最近では先述した2年前の室堂から折立まで縦走した薬師岳登山があったが、実はその時でさえ自家用車を立山駅の駐車場に置き、折立へ下山後に事前予約しておいたバスで富山地方鉄道の有峰口駅まで行き、そこから立山駅まで鉄道を利用して自家用車を回収した。
同じく2年前の表銀座縦走では自家用車を中房温泉行きの定期バスの当時の始発地『安曇野の里』にある駐車場に置き、縦走後に上高地から公共交通機関を使って回収する予定だった。(幸いこの山行時は下山でご一緒した登山者の方にその駐車場まで車で送っていただいたが)
※『安曇野の里』のバス停は2025年11月をもって廃止、現在は『県民豊科運動広場』に変更されています。

北アルプス『真夏の一期一会』表銀座テント泊縦走3泊4日 -前編

しかし今回は新穂高IN、室堂OUTである。
さすがに自家用車の回収は現実的ではない。
そこで今回は新宿から出ているまいたびさんの登山バスとしてお馴染みの夜行バス『毎日あるぺん号』で新穂高までアクセスすることにした。夜行バスというもの自体は利用した経験はあるが、登山目的で利用するのは今回が初めてである。4列シートと3列シートで3,000円ほどの料金の差があったが、少しでも縦走前に体の負担を少なくしようと3列シートを予約した。
※まいたびさんについては下記公式HPをご確認ください
登山ツアー・登山バス・日帰りバスツアー|毎日新聞旅行「まいたび」
帰りの室堂から自宅へは『立山黒部アルペンルート』『立山駅』へ下りて、そこから『富山地方鉄道』に乗り換え『電鉄富山駅』へ向かい、『北陸新幹線』で関東に戻る手筈にした。立山黒部アルペンルートは下りに関しては予約等は必要無いので下山後に現地でチケット購入(室堂から電鉄富山駅までの通しのチケットがある)。新幹線のチケットは予備日も設定していたので最終日が確定した時点の前日の山行中に下山時刻を想定しながらスマホで確保するつもりでいた。いまはたいへん便利なもので『えきねっと』で予約した新幹線チケットを自分のSuica-IDに紐づければスマホを新幹線の改札機にかざすだけで入場できる。いまや『みどりの窓口』に切符購入のために並ぶ必要もなく、紙のチケットすらも必要なく、とても便利でこのあたりの進歩はほんとうに昔とは隔世の感がある。

山小屋の手配

実は今回の山行、そもそも計画の起点となるのは『水晶小屋』の予約が取れるか否か、ということである。もちろんなかには比較的予約の取りやすい『三俣山荘』から一気に『奥黒部ヒュッテ』まで歩く強者もいらっしゃるが、それは私にはとうてい無理な計画である。
『水晶小屋』は『ワリモ岳』『水晶岳(黒岳)』のあいだの稜線上に建つ小さな山小屋である。もちろんテント場は無い。私は以前に水晶岳へピストン登山した際に立ち寄ったことだけはあったが、水場などもない過酷な環境に建つ山小屋であった印象である。この小屋は『水晶岳』や『赤牛岳』などに登る登山者にとっては欠かせない小屋だけあって、予約はまさに “争奪戦” の様相となる。
毎年この時期に北アルプス長期登山をしている身としてはこの期間のどこかで予約を取れなければならないが、運よく予約を取ることができた。実はその確保時点からこの山行の準備が始まったようなものである。

水晶小屋について詳しくは公式HPをご確認ください。↓
水晶小屋|北アルプス最奥の稜線
さらに今回は初めて夜行バスを利用しての登山ということで移動中の車内で眠れなかったことを想定し、初日の宿泊地として『鏡平山荘』も山行決行の5日くらい前にたまたま空きがあったので予約を入れた。新穂高からの小池新道は何回歩いたか数えられないくらいに歩いている登山道だが、いまの今まで『鏡平山荘』には泊ったことがなかった。初日の行動時間と歩行距離が長くなってしまうが、いつも双六小屋のテント場まで一気に上がっていた。
しかし今回は最終的に室堂まで歩き通さないといけないし、日数的にも余裕のある日程を確保できたのでせっかくならとこの機会に宿泊することに決めたわけだ。実はこの鏡平山荘泊が本山行において大きな分岐のひとつになろうとは、この予約時点では知る由もなかった…。
鏡平山荘について詳しくは公式HPをご確認ください。↓
【公式】鏡平山荘|双六小屋グループ
今回はトータルで5泊する予定であるが、あくまでテント場があるところではテント泊をすることに努めた。小屋泊はこの『水晶小屋』と『鏡平山荘』となるが、そもそもこの小屋にはテント場がないからである。もちろん天候次第ではテント泊から小屋泊へと変更することも想定して準備した。

山岳保険の加入

実は恥ずかしながらこれまで山岳保険(レジャー保険)というものに加入したことがない。山で事故に遭ったことは一度もないわけだが、さすがに今回は加入することにした。いまは便利なもので、年契約だけでなく1日とか、1週間だけ加入することもできる。ということで今回はYAMAPさんで簡単に加入できる1週間コースに加入した。
今まで山岳保険に入らずに事故に遭ったことがなかったのに保険に加入した途端に山岳事故に遭う、ということにだけはなりたくはないし、“ジンクス的” なそんな一抹の不安がないわけではなかったが、お守り程度の気楽な費用で加入できるので今後も積極的に利用してみたい。



山行計画大綱

そんなことで大まかな山行計画は以下の通りとなった。

  1. Day1
    新宿から前日深夜の夜行バスで新穂高温泉に早朝到着し、小池新道を登り鏡平山荘に宿泊。
  2. Day2
    鏡平山荘から登って当日の天気をみながら双六小屋または三俣山荘のテント場にてテント泊(どちらも予約は必要なし)。
  3. Day3
    前泊のテント場から水晶小屋まで歩き、そのまま小屋泊(鷲羽岳を経由する稜線コースか、黒部源流へ一度下る源流コースかは当日決める予定)。
  4. Day4
    水晶小屋から水晶岳、赤牛岳と縦走し読売新道を下って奥黒部ヒュッテのテント場にてテント泊(テント場の予約は必要なし)。
  5. Day5
    奥黒部ヒュッテのテント場から針ノ木谷側の渡し場まで歩き、10:20発の渡し船で対岸の平ノ小屋まで移動、そこから五色ヶ原のテント場までふたたび登り返す(テント場の予約は必要なし)。
  6. Day6
    五色ヶ原のテント場からザラ峠、獅子岳を経て、一度みくりが池温泉にて入浴と食事を済ませて室堂へ。

今回のコースで5泊6日というのは実はかなり余裕のある設定である。健脚な方であれば4泊5日、または3泊4日でも踏破できる強者もいよう。だが私はこの余裕のある日程にあえてしたかった。
登山は競争ではない。
少なくとも私の登山の目的はそうではない。
この余裕ある時間の使い方こそ私の登山の目的の真意である。山を愛で、自然を感じ、風や雨と戯れ、動植物たちに癒され、ときに恐れ。そのすべてが登山であるし、その中にゆっくりと自分の身を置ける計画であればあるほど “贅の極み” であると思っている。

本山行のログ (YAMAPより転載)

今回は4日目と5日目が自身の中で核心部だと思っていた。それ以外はそれこそ今まで幾度となく歩いてきた勝手知ったる道である。まだ見ぬこの未踏の道に思いを馳せ、登山決行の数日前から期待と不安の入り混じる、なんとも言えない感覚だったことを覚えている。

やれる準備はすべてやった。
さぁ、旅に出よう。

Day1 新穂高温泉~鏡平山荘

山行前日の夜22:00過ぎ。
ここは大都会の摩天楼、新宿都庁付近にある大型バスターミナル。

私にとってここから今回の縦走が始まると言っても過言ではない。なにせこのバスターミナルが新宿のどこにあるかもわからないわけだから、山だけでなくそのような細かな “関門” をいくつも乗り越えて自宅まで無事に帰らなければならない。縦走用の荷物を詰め込んだデカいザックを背負って電車に乗ること自体、私には違和感があるくらいなのだ。

新宿都庁付近にある大型バスターミナルにて乗車

出発が平日だったということで利用者は多くはなかったが、ターミナルに出発時刻の30分以上も早く着くころにはすでに何人かザックを背負ったハイカーの方々がいらっしゃった。即席の受付のようなところで受付して自分が乗車するバスの停車位置を確認、しばらくすると大きな観光バス『毎日あるぺん号』がやって来た。乗り込んでみると(乗車口に座席表がある)すでに始発以降からここ新宿までに乗車されている登山客で8割かた埋まっていた。

23:00、定刻通りバスは新宿を出発した。
夜間に自分で新穂高まで運転しなくてよいのは楽であったし、運転席含め窓はカーテンで完全に仕切られてはいる。車内灯も走り出してからしばらくすると完全に消灯した。が、全く眠れない…。それがこの環境のせいなのか、明日から始まる大縦走への期待と不安からなのかさえわからない。
途中、談合坂SAと諏訪SAで1時間ほどの休憩を挟み、上高地を経由したのち新穂高には予定通り明朝6:15には到着した。正直、これであれば前日夕方に自宅から自家用車で運転して新穂高の駐車場で車中泊したほうがよほど体調が良い。もちろん車の回収を考えると今回ばかりはそれはそれで非現実的なのだが、夜行バスがこれほど私に合わないとは思わなかった。長距離長時間の運転疲れよりも、まったく眠れなかったという事実のほうが私には酷であった。しかもこの到着後からすぐに登山が始まるのである。

新穂高にある登山指導所にて登山届を提出して出発

ただ今後、この新穂高周辺の駐車場は予約制化やら有料化、そして駐車料金の値上げなどが予定されていることを考えると、バスのほうがいろんな面で良いことも多い。そんなことを考えながら新宿のコンビニで買っておいた朝食を食べてから新穂高にある登山指導所に登山届を提出したりするうち、結局歩きだしは7:00となった。
いつもの自家用車であればこの時期は5:00くらいに早出していたので7:00の歩きだしは私の感覚ではかなり遅い。それを考えてあえて鏡平山荘泊を予定に入れておいたわけだ。事故渋滞なども想定されるから、この判断は正解だったと言える。

林道を歩いてわさび平小屋へ

冷やしキュウリをいただく

『わさび平小屋』までの長い林道は曇り空で、涼しいなかを快調に歩けた。いつもよりも荷が軽いのもあるだろう。最も重かったデジタル一眼レフ時代は26、7kgを担いでいたが、今回はなんと15kgを切っていた。荷が軽いということがこれほど楽なのかと改めて感じながら小屋で冷やしキュウリを食べていると、やがて急に雨が降って来た。しかもパラパラ程度ではなく、いきなりかなりの本降りである。

突然、雨が本降りに。

実はこの7月終わり~8月頭という期間は絶好の登山日和のいわゆる “特異日” と信じ、直前の天気予報はそれほど注視していなかった。「好天になるはず」という、まるで裏付けのない宗教のように私は信じ込んでいた。2年前の表銀座縦走も、昨年の黒部五郎岳山行も、この期間はまったく雨の降らない、毎夜天の川を仰ぎ見れたくらいに好天続きだった。
しかし今年はどうも違うらしい…。
仕方なく上下カッパを着て、あくまでテント場での日除け目的で装備してきた折りたたみ傘をさして再び林道を『秩父沢』に向けて歩き出した。

実はここから山荘までの区間はあまり鮮明に覚えていない。
降り出した雨は弱まるどころか、どんどん激しさを増し、風こそ強くなかったが『秩父沢』を越えたあたりから雷も鳴り出した。もはや登山道はあっという間に川と化していた。とにかく寒さに耐えながら黙々と登山道を歩いた。私にとって鏡平はいつもなら『双六小屋』までの休憩地という感覚だが、この日ほど長く感じたことはない。下界ではここのところ連日38℃の猛暑であったからこの気温の落差は山を長年やっていてもなかなか慣れないものである。この日はどこの山でも大雨だったようで、残念ながら低体温症で亡くなられた方もいらっしゃったと聞く。
鏡池直下の『熊の踊り場』から鏡池までの急坂はもはや沢のようになっていて危険も感じながら、そして寒さに耐えながら登った。小池新道は晴天だとそれはそれで暑さにやられてしまう長い道のりであるが、今回ばかりは濡れることによる寒さがきつかった。

もはや “あと5分” どころではない…。

新穂高を出発して約5時間、低体温症になりかけながらもなんとか12:00にこの日の宿泊地である『鏡平山荘』に到着した。好天ならかき氷を頬張っているにこやかな登山者たちで賑やかな小屋前ベンチだが、この日はもちろん誰もいない。駆けこむように小屋に入って寒さに震えながら宿泊の手続き。手が悴んでペンを持つこともままならず、宿泊の申込用紙も濡らしてしまった。
現在規則で山荘内での発火を防ぐためモバイルバッテリーは持ち込みが制限されているので、それを玄関横の貴重品入れに入れてから濡れたものを暖かな乾燥室で干しつつ、食堂のストーブで身体を温めた。その間もこの大雨のなかをずぶ濡れになって登って来た、また下山してきた登山者が山荘に駆け込んでくる。

カレーをいただく

半個室で快適な山荘空間

昼食として注文したカレーを空腹に流し込みつつ天気予報を確認、山荘の窓から外を眺めては、また天気予報を確認。私に割り当てられた部屋自体 (カーテンと仕切り壁のある2段ベッド) はほぼ個室と言えるくらいのプライベート空間を得られるきれいな山荘であったし、宿泊者のためにお湯も用意していただいたり、過ごしやすい山荘と感じたが、いかんせん今後の天気予報の動向が気になって気が気ではなかった。夕食までの時間は頼りないスマホの電波を探しながらまったく落ち着かず、濡れた衣服の乾燥具合と情報収集に終始した。

夕食は1巡目の17:00に割り当てられ、たまたま同テーブルでご一緒した黒部五郎岳登山に来られていたご婦人Sさんに「明朝にまだ雨天であったら登山は諦めて、もし一緒に下山してくれるなら駅(新島々や松本)まで車で送ってあげる」とご提案頂いた。そう、明朝に下山するにも『秩父沢』をはじめとした小池新道がどれほどの増水になるのかもわからないから、宿泊者にとってみればその不安も大いにあった。昨年も大雨で橋が流されたと聞く。仮にこの降り続く雨で『秩父沢』の橋が流されでもしたら、遠回りして笠新道から下るしか手がないことになる。

山小屋とは思えない豪華な夕食(小うどんとデザート付き)

それにそう、今回自分はバスで来ている。気軽に新穂高に下山してそのまま車で帰ることができない。新穂高から公共交通機関で帰るにはバスでいったん平湯まで行って、そこから予約が必要な松本行きのバスに乗り替えて、そこからさらに “あずさ” に乗るといった手配が必要である。あらためて公共交通機関でこんな山奥に来ているたいへんさを感じたし、だからこそ車で新穂高から駅まで送ってくれるというそのご婦人Sさんの提案のやさしさとありがたさを感じた。

そして何より、このような天候のときは山小屋泊はなんて快適なんだろうとも思った。もし仮に、今回この『鏡平山荘』を予約していなかったらたぶん途中で心が折れて下山していたに違いない。そもそも心が折れる前に低体温症となって動けなくなるリスクさえあったかもしれない。私としては久しぶりの山小屋泊となったが、その快適さを実感した夜でもあった。

小屋の消灯後、まったく止む気配のない雨音を聞きながら、半個室のふとんのなかでいつしか眠りについた。



Day2 鏡平山荘~三俣山荘テント場

朝になっても雨は止まない。
2巡目となる5:15からの小屋の朝食をいただきながら本当に下りてしまおうか、先に進もうか、考えてみたが結局明確な答えがないまま時間だけが過ぎていった。昨夜は濡れた衣服で溢れかえって掛けるハンガーや洗濯バサミさえままならなかった乾燥室も、朝食後すぎにはすっかり空き始めていた。先にすすむ人、諦めて下山する人、宿泊者のなかにもいろいろいらっしゃったようだが、今後の回復を信じてけっこう多くの方々がそのまま登山を続行するようだった。あのやさしいご婦人Sさんも昨夜いったん五郎小舎の宿泊予約をキャンセルしたようだったが、今朝改めて双六小屋の宿泊予約を取って先に進む決心をされたようだった。

寒い日は温かい朝食がありがたい

雨雲レーダーと睨めっこしながら、好転を期待して雨が止みそうなタイミングとなった 9:00ころ、まだ昨日の雨中登山のため乾ききっていない湿った登山靴に足を通して、ようやく先にすすむ決心をして行動を開始した。私ともうひとりの男性ハイカーが一番最後まで山荘の下駄箱にその湿った登山靴を残していた最終宿泊者であった。予定通り先に進もうと決めてから、実はその方と談笑しながら山荘を出るタイミングを計っていたのである。

雨が弱まるのを待って、お世話になった鏡平山荘を後にする。

先述の通り計画時点で実はこの2日目の宿泊地は明確に決めてはいなかった。そのときの状況や体調をみながら双六か三俣で幕を張るつもりではいた。平日(特定日以外)ということもありテント泊であれば予約は必要なかったからだが、このあたりがテント泊の柔軟性の良さである。

『鏡平山荘』を見下ろせるところくらいまで登ったあたりで雨は完全に上がって、ガスの切れ目からすこしずつ近くの山のダイナミックな山肌も見え始めてきた。
ただここから見えるはずの『槍ヶ岳』はまだ姿を現さない。

我々人間と違って動植物たちは昨日の雨で生き生きしているように見える。登山道をすばしっこく走り回るオコジョも、雨というシャワーを浴びてニッコウキスゲやチングルマ、ハクサンフウロたちも、生き生きと山という舞台で自らの命を主張していた。

ニッコウキスゲ

チングルマの綿毛

登山自体は前夜に山荘で熟睡できたのと、おいしい朝食をたっぷり頂いたためか体調も上々でハイペースに進み、『双六小屋』には昼前に無事着くことができた。すっかり天気が回復した小屋の前のベンチにて牛カルビ丼を頂いて空腹を満たした。そう、今回も軽量化の名の下、昼食は可能な限り小屋の軽食で賄おうという作戦である。

天気が回復してくれた

まだ時間も早いこと、そして天気もしばらく持ちそうに感じたので、この日は『三俣山荘』のテント場まで歩くことに決めた。

双六小屋にて牛カルビ丼をいただく

この『双六小屋』から三俣方面へは『双六岳』を巻く中道コースも個人的に好きなので迷ったが、今回は時間的な余裕のある日程なのでそのまま山頂に向けて稜線コースを選択した。今年はコバイケイソウの当たり年のようで、そこかしこに白いコバイケイソウが群生している。とくにこの双六岳の稜線、別名『天空の滑走路』へ上がる手前の斜面はみごとであった。

今夏はコバイケイソウの当たり年のようだ

稜線では残念ながらまだガスが『槍ヶ岳』を覆っている。
この滑走路越しの『槍ヶ岳』を見ようと多くの登山者が訪れる『双六岳』であるが、やはりこういう日もあるし、それが山の本質のひとつでもあると私は思う。

いつ来ても同じ風景を見ることができる、そんなものならば価値はない。

一期一会の山の表情を楽しむことができれば山の深い理解者と言えよう。いつ何時この稜線の直線上に『槍ヶ岳』を望めるのならばその価値は無いに等しいのである。もし見れなければ、また来れば良いだけの話であるし、それが再訪するきっかけにもなる。

晴れの日、
雨の日、
曇りの日、
雪の日、
ガスの日。
そのすべての日がこの山々の自然を形成している。
山とはそういうものだと私は思う。

“天空の滑走路”では槍ヶ岳はみえず

このあたりの縦走コースは私にとって北アルプスでもっとも回数をこなしているだけあって、ちょっと飽きてきている部分もあるものだが、やはり天候や季節が変わるだけで山の見え方は刻々と変わる。それが長年歩いていて楽しいところでもある。
こんな天気だからか、いつもよりも登山者も少ないように思える。しだいに天気も回復傾向で、結果的にこの2日目が6日間のなかでもっとも天候に恵まれた日となった。

『双六岳』から『三俣蓮華岳』へと歩き『三俣山荘』には15:00あたりに着いたであろうか。
ここの展望喫茶で窓越しに槍ヶ岳を望みながらおいしいサイフォンコーヒーとケーキを頂くのが自分の好例だが(昨年の黒部五郎岳登山でもわざわざこの展望喫茶まで寄り道した)、残念ながら喫茶の時間は終わってしまっていた。

三俣山荘テント場にて『SLドーム』初張

山荘にてテントの受付を済ませてから翌日以降の食料を調達。テント場に戻って新テント『SLドーム』を初設営し、簡単な夕食を済ませた。その後は情報収集のためスマホの電波を探しにテント場の上部にあがりつつ、夕暮れの『鷲羽岳』を堪能できたのは本山行唯一の “ご褒美” であったかもしれない。三俣山荘のスタッフの方々であろうか、山荘前の広場で若者たちが “スイカ割り” を楽しんでいるようで、その楽しげな声が風に乗ってここまで聞こえてくる。
昨日の雨中登山とは打って変わって平和な夕刻であった。

テント場に夜の帳が進出してくると同時に、疲れていたためか眠ってしまった。しかし19:00前あたりからまた再び雨が降り出し、風も強くなってテントのバタバタする音でその後はあまり寝付けなかった。

明日は晴れ間はあるのだろうか?

暮れなずむ鷲羽岳と三俣山荘

深夜以降、その風雨も収まってくれたようで長いようで短い夜が過ぎていった。明日はのんびりできる行程なので、そのまま朝までゆっくり休むことにした。

三俣山荘テントサイト情報
・1泊あたり2,500円(一人)
・テント泊予約は山荘が定める特定日のみ必要
・水場はテント場と山荘前にアリ(無料)
・トイレは山荘内のトイレを使用(テント場には無い)
・電波はテント場上部のガレ場まで上がると繋がる(当方docomo)
・テント泊客でも夜喫茶の利用可
・その他詳しくは下記の山荘公式HPをご確認ください ↓
三俣山荘|三俣山荘グループ

 

(後編へつづく)

備忘録(経費)

今回の山行にかかった経費、主に交通費や宿泊費を備忘録としてまとめてみた。

〇往路
¥20,000(『毎日アルペン号』3列シート)
〇復路
¥14,620(『北陸新幹線』指定席)
¥5,510(『立山黒部アルペンルート』および『富山地方鉄道』)
〇山荘宿泊費
¥15,500(『鏡平山荘』1泊2食付)
¥18,300(『水晶小屋』1泊2食+お弁当付)
〇幕営料金
¥2,500(『三俣山荘』)
¥2,000(『奥黒部ヒュッテ』)
¥2,000(『五色ヶ原山荘』)

◎合計 ¥80,430也

関東からの往復の料金は片道で各々20,000円で自家用車によるアクセスよりも当然割高にはなるが、とくに復路の新幹線移動は自家用車に比べて格段に楽になる。今まで関東からでも『扇沢駅』ではなく『立山駅』を利用してきたことが多い自分にとっては、今後はもう自家用車で『立山駅』には行く気がしない。
山荘泊にテント泊を絡めることで宿泊費の圧倒的なコストダウンを図れる。もちろん今までのようにすべてテント泊にすればさらなるコストダウンも狙えるが、今回のように悪天が多いときは山荘泊のほうが肉体的にも精神的にも楽。雨のテント泊は決して嫌いではないし、それがテント泊の醍醐味のひとつとも思ってさえいるが、久しぶりに山荘泊をしてみてその楽しさ、有難さも分かるようになってきた。
テント泊と山荘泊のミックスは今の自分に合っているスタイルかもしれない。