『雲上仙彩』天の川架ける黒部五郎のカールと北アルプス最後の秘境、雲ノ平(後編)

PHOTO TOUR

2019年8月 新穂高温泉~双六岳~黒部五郎岳~雲ノ平

新穂高温泉から小池新道を経て、双六岳から三俣蓮華岳を経由し仙境、黒部五郎岳へ。そして北アルプス最後の秘境、雲ノ平へと至るアーカイブ(後編)。

※本アーカイブに使用している写真には一部過去に撮影したものも含まれています。過去に撮影されたものは注釈に日付を入れてありますのでご了承ください。

目次(後編)

  • 約束の地、雲ノ平
  • 黒部五郎カールのモルゲンロート
  • 三俣山荘と休息
  • 秘境『黒部源流』
  • ラストサンクチュアリ
  • 再びの双六岳へ
  • 追憶~雲ノ平~
  • Reminiscence of Tomorrow




約束の地、雲ノ平

雄大なる北アルプス連峰。連なる峰々、美しい高山植物、逞しく生きる動植物たち、そして混じりけの無い無垢なる青い空。

山を愛するものにとって北アルプスは永遠なる憧れ。幾度と訪れてもなお憧れの地。

その北アルプスのなかでも最奥、最果てとも称される地、雲ノ平。

富士山に憧れ、八ヶ岳に憧れ、槍ヶ岳や穂高連峰に憧れ、剱岳に憧れ…。そして最後は雲ノ平に憧れ。すべての登山道は雲ノ平に通ずるとさえ思える日本最後の秘境。

いくつもの峰々を自らの足で越えた者のみが到達できる別天地。山を愛するものだけがたどり着ける約束の地。

雲ノ平はひっそりと静かに純粋なる登山者を待っている。

黒部五郎カールのモルゲンロート

カールでの天の川の撮影後は天文薄明を迎え、そのままカールに停留し夜明けを待つことにしました。黒部五郎カールのモルゲンロートの撮影に入るためです。

モルゲンロートとアーベントロート

山用語であるモルゲンロートアーベントロートはともにドイツ語です。それぞれ“朝焼け”と“夕焼け”を意味します。モルゲン(Morgen)は朝方、アーベン(Abend)は夕方の意。ロート(rot)が『赤い』を表します。

日中の日の高い時間帯でも北アルプスでは雄大な山並みが、美しい緑や透明度の高い青空と相まってコントラストが高く素晴らしいわけですが、やはり日が昇ったり沈んだりする時間帯は光が斜めから山肌を照らし、時には赤く輝き、本当に美しい情景を見せてくれます。

個人的な見解ですが、撮影する際は本山行のような夏山はアーベントロートに、冬や残雪期の山はモルゲンロートに期待しています。経験上、夏は夕方に積乱雲が発達したりして冬では決して見られない夕焼けを撮影してきましたし、冬や残雪期は真っ白な雪山が朝日に照らされ『紅色』に輝きます。雪による『白いキャンパス』があるからこそその紅色がより美しく輝いて見えるためです。

みなさんはモルゲンロートとアーベントロート、どちらが好みでしょうか?

カールの夜明け

深夜からずっとカールに滞在していると、日の出ということに何とも言えない安堵感を覚えます。8月なので寒さこそありませんでしたが、やはり暗闇のなかでひとりでいるのはつらいものです。そんな中、空が少しずつ白んで、野鳥たちが囀りはじめ、雷鳥たちが鳴き始め、黒部五郎岳の山頂を日が照らし始めると、暗闇や心細さから開放され新たな『一日の始まり』を実感できます。

黒部五郎カールのモルゲンロート

『御来光』という言葉があります。昨今、もはや日本人は信仰心を失ったと思いがちですが、じつは根底の部分ではこの『太陽』に対するある種の自然信仰の心は決して失われていないと思います。とくに今回のような場面ではやはり太陽の偉大さ、大切さ、暖かさを痛感します。

『信仰心なんて…』と思われるかもしれませんが、写真メインではなく純粋に山を楽しみに歩いておられる方々でも、日の出の瞬間はやはり自然と太陽を見る(拝む)方が多いように思います。手を合わせないまでも、それこそが自然信仰心が根底に残っている証拠なのではないでしょうか。

太陽はすべての命の源でもあります。

そんな美しくも清々しい太陽の日差しに照らされた朝の黒部五郎のカールは素晴らしい景観です。

朝の清らかな空気に包まれる黒部五郎カール

カールに日が当たる頃には多くの登山者が山頂に向かって麓から登って来られ、その方々と挨拶を交わし、そして見送りながら今回の黒部五郎岳の撮影は終了しました。

三俣山荘と休息

五郎小舎のテント場に戻るとほとんどの方はもう撤収されていて、私を含めて2,3張りしか残っていませんでした。こういうことは実はよくあることで、純粋に山登りを楽しみに来られている方々と私のように撮影目的で入山している者とは行動時間やコースが微妙にズレています。

眠気と疲れで少し横になりたかったですが次の移動のことを考えて、朝食をとった後すぐに撤収作業に移行しました。

山を愛する同志

撤収作業の合間、近くで同じく撤収に取り掛かっていた方といろいろお話させて頂きました。山のことや写真撮影のことなど、同じように山を楽しむ方々とはいつも楽しい時間を過ごさせて頂きます。

情報交換も含め、いろいろなことを教えたり教わったり。そういった経験は本や雑誌、ネットの情報とはまったく質が異なるリアルで生きた情報や経験ですからとてもためになる貴重な時間でもあります。

美しい山岳風景や星空、登山の達成感。そして山を愛する同志の方々との出会いもまた山の魅力のひとつと思います。

三俣蓮華岳への稜線からの薬師岳と雲ノ平

その方と写真を撮りながら三俣蓮華岳への苦しい登りをご一緒させていただきました。

三俣山荘

三俣蓮華岳から少し下れば三俣蓮華岳キャンプ地があり、さらに進めば三俣山荘が見えてきます。三俣山荘は食堂が別棟になっていて、そこでは名物となっているサイフォン式のコーヒーを頂けます。一緒にケーキを頼めば疲れた体も心もリフレッシュされるオアシス的空間となっています。

テント場は北アルプスの中でも広い部類ですが、山荘に近い場所ならまだしも離れていくに従いガレ場のようなところに張らなくてはいけません。外トイレも無く山荘の中のトイレを使うことになりますし、テント場としてはあまり好きなほうではないのですが、それを差し引いても食堂で頂ける食事やコーヒーがどれも美味しくとても好きな山荘です。

本山行で気付いたのですが、テント場の方々の中に“日傘”を差されていた方が多く見受けられました。なるほど、確かに北アルプスのような高山帯はそもそも森林限界ですし、山小屋ならまだしもテント場は直射日光が強烈ですから最近は日傘が流行っているようです。テント場ではもはや『クロックス』が当たり前になって久しいですが、今後は山用の日傘が当たり前になってくるのでしょうか。

日焼け対策
北アルプスのような高山では日焼け対策は必須です。高山の紫外線を甘く見ていると悲惨な目にあってしまいます。日傘とまで言わないまでも日焼け止めクリームは食料や飲料水と同じくらい必携です。

休息

三俣山荘のテント場には14時前には着きましたが、設営や食堂での食事を終えた時点ですでに行動時間が15時間半ほどに到達していたためか疲れがどっと出てしまい、その後は『休息』とし体を休ませました。

日本列島に近づきつつある台風情報を含め今後の天気を山荘で確認したところ、まだ多少の夕立の心配はありましたが好天が続きそうでしたので翌日の雲ノ平に備えて早めに休みました。(天候によっては翌日に下山することも考えていました)

鷲羽岳と昇るM45プレアデス星団(2016年8月撮影)



秘境『黒部源流』

翌朝、槍ヶ岳方面の早朝の撮影を終えた後、テントはそのままに雲ノ平へ向けて歩き出しました。三俣山荘からは黒部源流へ一気に下りますが、この黒部源流がまた素晴らしく、まさに自然の源、原点となる無垢な空気感に包まれています。

この独特な空気感は他には類を見ないほど唯一無二と思います。すこしでも登山道を外れようものなら“もののけ”に出会いそうな、そんな空気感を漂わせています。

夜明けの槍ヶ岳

源流とはその名の通り『すべての源の流れ』
ここから命が生まれ、育まれ、そして絶え間ない流れは上流から下流へとその命を運び、木々を、森を、村を、そして街を育ててくれます。

祖父岳と黒部源流

その源流からは山荘から下ってきた分、かなりの登り返しの急登が待っています。祖父岳への登りです。本コースでは一番斜度のきつい登りの区間ですが、やはり振り返れば美しい風景に癒され気力をもらえます。

鷲羽岳と三俣蓮華岳の鞍部に建つ三俣山荘と、その奥に雄大に聳える槍ヶ岳の眺めはとても美しく、急登に息を整えながら、その素晴らしい山岳風景を切りとります。

三俣山荘と槍ヶ岳

そして通称『日本庭園』まで来ればいよいよ雲ノ平の聖域に足を踏み入れたといって良いでしょう。『日本庭園』付近はチングルマの群生が見事で、いまだ花を咲かせているエリアやすでに綿毛となっているエリア、そして花と綿毛が混ざり合っているエリアがあり楽しませてくれます。

雲ノ平庭園

雲ノ平周辺は様々な名前が付けられた庭園が点在しています。

  • 日本庭園
  • スイス庭園
  • アルプス庭園
  • アラスカ庭園

など、眺望の良いところにあるので良い目安になるでしょう

『日本庭園』付近、朝の陽光浴びる綿毛のチングルマ群

ラストサンクチュアリ

心象風景

祖父岳山頂への分岐周辺から雲ノ平を見下ろすといつも妙な感慨深いものと身が引き締まるものを感じます。

『聖域』

そんなものを感じます。

『聖域』雲ノ平と薬師岳

北アルプスを知り尽くしてきたとはまったく思いませんが、それでも私はもう何年も北アルプスを歩いていますが、いまだにどの山に入山するときでもある種の『聖域』に踏み入るような感覚を覚えます。しかしその中でもやはり雲ノ平は別格に感じます。

遠くてなかなか来れないから、とかそういうのとは少し違っていて、神聖なる空気感のような…、どこか他の山とは少し異なっています。おそらく目に映る実際の風景に感情が加わることで人それぞれの心象風景となるのでしょう。

そしてあの決して大きくはない牧歌的な雲ノ平山荘が景観を損ねることなく建っていて、むしろどこか巡礼の旅の最後の『約束の地』のような雰囲気があります。

『聖域』に佇む雲ノ平山荘

薬師岳、水晶岳、祖父岳、黒部五郎岳。名立たる名峰に抱かれし雲ノ平。

後世にまでこの美しい景観を残していきたい日本最後の秘境。

やはり幾度訪れても私にとって『聖域』と感じさせてくれます。

雲ノ平キャンプ場

雲ノ平キャンプ場は山荘からはかなり離れています。そして広さ的には十分あるのですが、岩や大きい石が点在していて、敷地のわりには張りづらいです。水は立地的に恵まれていて、沢から引かれた水がとめどなく流れています。

叶うことならここで星を撮りたいのですが、ここは夜間になるとどうも霧がかかりやすい地形のようで、いままで夜間に晴れたことがありません。と言いますかここにテントを張ると何故か毎回雨に祟られています。『雲ノ平』とはひょっとしたらそこから名付けられたのかなと思ってしまいます。

ガスに包まれる夕暮れの雲ノ平(2016年8月撮影)

今回は体力や日程的な面でこのテント場は利用しませんでしたが、今後黒部五郎のカールと同様、この雲ノ平を題材とした星景写真の撮影も計画しています。

雲ノ平山荘

おそらく北アルプスでもっとも『絵』になる山小屋がこの雲ノ平山荘でしょう。北アルプス最奥に牧歌的に佇むその様は雄大なアルプスによくマッチしています。

私は毎回昼時に食事で伺うだけでいまだにこの小屋自体には宿泊したことはありませんが、きっとこんな素敵な山小屋に宿泊できたら良い思い出になるでしょう。

アルプス庭園からの雲ノ平と雄大なる水晶岳

食堂のテラスからは美しい北アルプスの山並みが素晴らしく、ずっとこなまま景色を眺めていたい衝動に駆られます。

下界を離れ、

山に抱かれ、

時間を忘れ、

雲を眺め、

のんびりとコーヒーを頂く。

『雲ノ平ブレンド』、これほど贅沢なコーヒーがあるだろうか…。



再びの双六岳へ

今回は天気予報や撮影予定の関係から水晶岳や鷲羽岳には向かわず、翌朝にはテントを撤収し再び双六小屋に向かうことにしました。

巻き道ルートは花道ルート

三俣山荘から双六小屋へ向かうルートは『稜線ルート』と『中道ルート』、そして『巻き道ルート』の三つのルートがあります。

当然、山々の眺望や槍ヶ岳がもっとも美しく見える素晴らしい展望という点から『稜線ルート』一択なのですが、実は『巻き道ルート』もとても歩いていて気持ちの良いルートです。とくにこのルートは高山植物がたいへん美しいルートで、お花畑が点在しており、スナップ撮影しながらだとまったく足が進みません。

高山植物咲き乱れる巻き道ルートから三俣蓮華岳を仰ぎ見る

コバイケイソウやチングルマをはじめとして、ハクサンイチゲ、ウサギギク、ミヤマキンポウゲ、ハクサンフウロ。まさしく高山植物の宝庫。そのお花畑が蒼く澄んだ夏空と岩山の高山と交じり合い、まさに絵葉書の中に迷い込んだかのような錯覚を覚えます。

『巻き道ルート』は改め『花道ルート』として欲しいくらい、『稜線ルート』に引けをとらないくらい美しいルートになっています。

双六岳台状稜線と昇るオリオン

双六小屋のテント場に到着後、設営するや否や夕方及び深夜から早朝の撮影を控え、即休息をとりました。しかし残念ながら夕方の樅沢岳からの撮影では完全にガスってしまい成果は得られませんでした。

そして深夜~早朝にかけての双六岳からの撮影が今回の撮影山行の最後のセクションになります。

この時期、春から夏のかけての華やかでカラフルなさそり座が沈むと、早くも明け方前からは冬の王者、オリオン座が東の空から昇ってきます。双六岳からの槍ヶ岳方面は東なので明け方前であれば台状稜線と槍ヶ岳、そしてオリオン座すべてを画角に収めることが出来ます。

夜明け前、槍ヶ岳の上空にはオリオン座が昇り始める

しかし残念ながらこの日はガスがかなり濃く、風もかなり強く、星を撮るにはコンディションのとても悪い天候で、さして良いものは撮れませんでしたが、今後の宿題としてまた来年以降撮影したいと思っています。

双六岳山頂からの槍ヶ岳の夜明け

夜明けが近づくにつれガスもようやく晴れてきました。目の前の風景も目まぐるしく変わり、時折稜線上にガスが流れたり、強風とともに様々な表情を見せてくれました。

昇る太陽が北アルプスの名峰たちに光を与え、雲海に命を与え、我々生命に温もりを与えてくれます。

この瞬間、ここでしか決して見れない情景。

美しくも儚いこの時間。

これこそ北アルプス山行の最高の瞬間。

最後の最後に、北アルプスは本当に美しい風景をまた私の心のフィルムに残してくれました。

『来て良かった…、また来よう』

“Spiritual Morning”

いつものように、ファインダーから見えるその美しい風景に私は山の神に感謝します。

追憶~雲ノ平~

過去の雲ノ平の写真も含めて、撮影した写真を眺めているとその時の記憶が蘇ってきます。風景はもちろんのこと、あそこであの方に会ってこんな話をした、とかテント場で出会った方とあんな話をした、とか何年経っても思い出すことが出来ます。

雄大な槍ヶ岳、黒部五郎のカール、名峰たちに抱かれし雲ノ平、美しい黒部源流の流れ、朝露に輝くチングルマ、山の匂い、美しい星空、そしてたくさんの出会い。

写真というのは同じ写真でもその写真を見ただけの人と、その写真を撮った人とではまったく価値が異なるものです。撮った人にはその当時の思いや気持ち、印象、匂い、光、すべてが写って見えます。それは写真として残っているだけではなく、心に残っているという証拠でもあります。

撮影とは写真を撮りながら、『心のフィルム』にも残すものであると改めて思わされます。

Reminiscence of Tomorrow

 

『Reminiscence of Tomorrow』

 

雲は知っている、

その記憶は、明日の記憶。

風は知っている、

あの丘の向こうに、かつての記憶。

 

そのフィルムに刻まれし風景、

消えることなく、この心に。

 

Masterheart / Aug,2019 at “Promised Land”Kumonodaira