スティーブン・ギル個展『Stephen Gill』を訪ねて

DIARY

先日のことになりますが、東京都は港区虎ノ門のありますアートクルーズギャラリーにて開催されているスティーブン・ギルの写真展『Stephen Gill』に行って来ました。筆者自身、彼の作品にこうやって触れるのははじめてのことで、とても楽しみにしていました。写真を “記録するためのもの” から “世界とともにイメージを生み出すためのもの” へと拡張した写真家と称されるスティーブン・ギル。今回は彼の経歴を軽く振り返りつつ、とても興味深く感じたこの写真展についての記事です。

スティーブン・ギルの今回の写真展『Stephen Gill』について、詳しくは下記ギャラリー様の公式HPでご確認ください。会期は2026年11月8日までとなっています。
Stephen Gill『Stephen Gill』|art cruise gallery by Baycrew’s

写真展『Stephen Gill』メインビジュアル

スティーブン・ギル

スティーブン・ギル (1971年~) はイギリス・ブリストル生まれの写真家。
彼は幼少のころ、具体的には11歳ころから自然に興味をもち始め、自然や動物、昆虫を観察することは自分の心理を理解する最初のステップであると捉えていたそうです。われわれ人間とはまったく異なるリズムやルールで成り立つ “パラレルワールド” の存在。好奇心旺盛なギル少年はそれらを理解し、観察することにのめり込むようになりました。
そして写真好きであった父親から写真についての基礎知識を学んだそうです。カメラの構造や撮影だけではなくフィルムの現像やプリントなど写真にかかわる技術的なことを多く学び、やがて写真は彼の自己表現のひとつになりました。
さらに少年時代、音楽好きの両親が持っていたレコードプレーヤーにも興味を持ち、流れる音楽を聴きながらそのカラフルなレコードのラベルを飽きることもなく眺めていたそうで、それが色に対する感性を高めてくれたと同時に「聴く」ことと「見る」ことを同時に体験できた貴重な時期でもありました。
このように彼は少年時代を自然と写真、そして音楽というのちに彼の作品の重要な要素となるものに囲まれながら育ちました。

13歳のころに写真家になりたいと明確に思いはじめたそうで、16歳のときに学校をやめて地元のラボで働き始めることになりました。その後にブリストルの大学にある写真のファウンデーション・コースに通い始め、そこでダイアン・アーバスやロバート・フランク、デュアン・マイケルズなど多くの写真家の作品を学ぶことになります。
1994年、22歳のときにかの『Magnum Photos』のインターンとして働くためロンドンに移住。そこで触れた国際的な戦争や内紛、社会問題を扱ったいわゆるフォトジャーナリズム的な報道写真と、自身が今まで培ってきた “遊びの場” “実験の場” としての写真との乖離に戸惑い、そして疑問も抱くようになったそうです。自分が好きだった写真というものでも好きではない側面もあるんだと気づいた時期でもありました。

その後マグナムにて3年ほど働き、1997年からは自身の制作活動に専念するためにフリーの写真家として活動をはじめました。ロンドンの東部にあるハックニーを拠点に、都市や自然、偶然性をテーマにした実験的なシリーズを制作。2004年にはそのときに制作した8つのシリーズを収めた写真集『A Book Of Field Studies』をChris Boot社より発行。
しかし、ギルはその写真集には長い期間にかけて情熱を持って制作してきた作品のエネルギーが十分に注ぎ込まれていないようにも感じました。そして作品に沿った写真集を作るには自分でやるしかないと決断し、2005年に自身の出版レーベル『Nobody』を設立。出版にかかわる印刷や製本にいたるすべての工程を自ら手掛けるようになります。その工程すべてを “芸術” と捉えた写真集『Hackney Wick』を発表。この写真集は大きな話題をよび、つづく2作目『Hackney Flowers』は大好評を博し、『Buried』は発売後にすぐにソールドアウトになったそうです。

そして2014年、20代から40代にかけて20年間住んでいたロンドンを離れ、パートナーのレナの故郷であったスウェーデン南部に家族とともに移住し活動をつづけています。

彼の作品は国際的にも高い評価を受け、現在ではテートやヴィクトリア&アルバート美術館、ストックホルム近代美術館、ナショナル・ポートレートギャラリー、ロンドン博物館など、世界各地の美術館やパーマネントコレクションにも収蔵されています。近年では2019年に東京のIMA galleryにて『Three Nature Studies』、2021年にイギリス・ブリストルのArnolfiniにて『Stephen Gill』などの個展が開催されています。

ギルの様々なアイデア・撮影方法

人間とは異なる自然が営む “パラレルワールド” を写真というもので表現するにはどのように撮影し、どのように作品として仕上げたら良いのだろうか。彼は常に考察し、アイデアを思い描いていました。結果、彼はとてもユニークで興味深いシリーズとして多くの作品を残してきました。
そのいくつかのシリーズをここで少し見ていきましょう。

●『Talking to Ants (蟻たちとの対話) 』
カメラの内部に撮影していた場所で採取した植物や昆虫、種子、埃などを入れて、それらの意図せぬ影や痕跡と一緒にその場の風景写真を撮影することで、その風景に植物や昆虫のサイズを混同させる試みが行われました。
●『Hackney Flowers』
ロンドン東部のハックニーで撮影した写真の上に、同じ地域で採取した花や種子を重ねて撮影し、さらにはその写真を土に埋めて、しばらくしてから掘り返すことで時間やその土地との協働を写真に取り込みました。
●『Best Before End (最後の前の最高) 』
高エネルギー飲料人気の写真的アプローチとして、その飲料を混ぜた液でフィルムを現像しました。
●『Coexistence (共生) 』
かつて製鉄が盛んだったルクセンブルグのとある地域の荒れ果てた貯水池にて、医療用顕微鏡を用いて撮影しました。さらにその地元の住民を写真に取り込みたいと考え、バケツにその池の水を汲んでカメラをそのなかに浸けて住民を撮影。そのプリントも池に浸しました。
●『Night Procession (夜の行進) 』
スウェーデンの夜の森にモーションセンサーを搭載したカメラを設置し、動物たちの姿を無人撮影しました。そしてその森自体に色を決めてもらうため、木々から採取した樹液で作った顔料でプリントを制作しました。
●『The Pillar (杭) 』
隣に住む農家の畑に木の杭を立たせてもらって、その杭に留まりに来る鳥たちをモーションセンサー付きのカメラで無人撮影しました。そこに映し出されたものは写真家が切り取った瞬間ではない偶発的な鳥の息遣いや羽ばたき、飛び立ちでした。

今回展示されていた『The Pillar』(手前)の作品群

このように彼は単に写真を撮ってプリントを制作するのではなく、その撮影した場所にある生命や物質を作品の中に取り込み、土着性や我々の五感を伴う要素を、しかもその偶然性も同時に作品の重要な部分としているように思えます。
とくにスウェーデンに移住してからはもはや自ら考えてシャッターを切るというひとりの “写真家”としての存在意義を良い意味で放棄していると言えるくらいに、偶発性を主題として制作活動に取り組んでいます。しかし、それは紛れもなく “ギルの写真” なのです。



個展『Stephen Gill』を訪ねて

今回の展覧会では彼がこれまで残してきた上記のような多くのシリーズの中から4つのシリーズ『Hackney Flowers』、『Talking to Ants』、『The Pillar』、そして『Please Notify the Sun』から抜粋された作品がシリーズごとに展示されていました。そのどれもが実験的で、先鋭的で、そして刺激的な作品ばかりでした。筆者がそれまで見てきたどの写真家の作品とも違う、彼独自の思想・写真哲学が貫かれた作品ばかりに感じました。

冒頭でも紹介したように、彼は写真を『記録するためのもの』から『世界とともにイメージを生み出すためのもの』へと拡張してきた写真家といわれています。このように畏まった言葉ではなんとなく難解なことを写真というツールを使って表現しているようにも感じますが、彼のユニークな作品群を観て筆者はその柔軟な思想やアイデアは彼の好奇心旺盛であった少年時代のまま、実はなにも変わっていないのではないかとも思いました。まさに少年のこころを持った大人という印象で、作品には彼の無邪気な遊び心がいっぱいに詰まっていました。

今回展示されていた『Talking to Ants』(手前)の作品群

ひとは大人の階段を昇るとともに世間や体裁を気にしたり、こんなことをしたら笑われるのではないかと勘繰ったり、周りの目を気にしすぎて本来自分が本当にやりたいことをやれないのが大概です。しかし彼は写真という舞台ではそのような束縛を嫌い、より自由に、自分のやってみたい “実験” をやってのけています。写真という表現の枠組み自体を取り除いて、独自の表現を試行錯誤しながら楽しんでいるようにも感じました。
著名写真家の写真展というと、どこか神妙な顔つきでしかめっ面をしながら鑑賞する雰囲気さえ漂っているわけですが、彼の作品はもっとリラックスして、あたかも少年の夏休みの自由研究でも観ているかのように鑑賞したくなります。

しかし彼の作品の根底にある “パラレルワールド” の存在は、我々が知っているようで知らない実に奥深いテーマでもあります。我々人間には知りえない植物には植物の、昆虫には昆虫の、そして鳥には鳥の世界が、人間とは別の世界が同じ時間軸で存在しています。世界を形作っているのは人間だけではなく、そのような人間以外の存在が作っている側面もあるわけです。

人間がシャッターを切る、切ろうと思った瞬間は当然、人間の尺度や判断によるものです。しかしそれはあくまで人間の尺度や判断によるものであって、人間以外にとっては必ずしもそれが意味のある特別なものや瞬間とは限りません。とくにスウェーデンに移住してからの彼の作品の変化はとても大きく、写真家(人間)として捉えることからあえて一歩引き、自然の有する偶然性に委ねて捉えています。そこに写ったものは漠然とした隔離された圧倒的な “世界そのもの” であって、彼の作品にはそこに大きな意義があるのではないかと感じました。

本企画展のフライヤー

自然に耳を傾け、自然の声を聞き、その自然が生み出すイメージをそのまま自然の声として写真に投影するギル。彼の作品を鑑賞しているとまるでその地域に居るような、その土地の匂いまで感じるような錯覚を覚えるのです。

スティーブン・ギルの言葉

スティーブン・ギルは言います。

「出版社の編集者や美術館のキュレーターなど、写真界で力を持っている人たちは明らかに存在するし、若い写真家は彼らの魔法でなんとかして欲しいと思っているかも知れない。しかし作品を見てもらうのは良いが、『彼らの出版社で写真集を出したい』とか『彼らの美術館で展覧会をやりたい』とは思うべきではない。彼らを超えないといけない。(中略) あなたの運命の鍵を握っているのは彼らではなく、すべて自分しだいなんだ。」(IMA 2019 summer のインタビューより抜粋)
まさにこの言葉通り、写真家が目指すべき、到達すべきは社会的地位でも金銭的優位でもなく、絶対的な自己表現の実現。そこに向けて試行錯誤しながら努力できる人が本当の “写真家” と言えるのではないかと、改めて彼の作品群に触れて感じました。
今回の素晴らしい企画展実現にご尽力いただいた関係各位のみなさまに、この場をかりて御礼申し上げ、ペンを置かせていただきます。

 

今回の記事は以上になります。
11月8日まで、まだ会期は残されています。ぜひ皆様もこの機会に彼の作品に会いに足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

※参考文献
art cruise gallery by baycrew’s 写真展公式HP
IMA interview 『The Journey to “The Pillar”』

スティーブン・ギル個展『Stephen Gill』概要

◆場所
art cruise gallery by baycrew’s
〒105-5503
東京都港区虎ノ門2-6-3 虎ノ門ヒルズ ステーションタワー3F
SELECT BY BAYCREW’S 内
◆入場料
無料
◆営業時間
11:00~20:00(19:30 Last entry)
◆会期
2026年9月11日(金)~11月8日(日)