近況と新たなる構想について

DIARY

本ブログの読者の皆様、いかがお過ごしでしょうか。
いつもご訪問いただきまして、誠にありがとうございます。

今回はここ最近記事をあげていなかったので(と言いますか相も変わらずブログ記事に出来るような日々を送っていない隠遁状態ですので)、何ら代り映えの無い近況と今後の新たなる希望的構想についての記事になります。

いつもそうですが今回も特に有益な情報系の記事ではないので恐縮ですが、ご興味のあるところだけでもご一読いただければ幸いです。

プリント海溝への旅路

天体撮影は完全なる別腹として2022年11月のテント泊を伴った燕岳撮影山行以来、高尾山にて行われた友人たちとの撮影会形式の登山を除いて本格的な撮影山行は一切敢行しておりません。それは同年2022年の中頃から翌23年の4月あたりまで再び本腰を入れてプリント制作に没入していたことが大きいのですが、それ故に新たに撮影に行こうという気持ちがなかなか芽生えないからなのかもしれません。

プリント自体は今までも年中行ってきたことでしたが、没入すればするほどそこから抜け出せないような実にやりがいを感じられるものでもあります。

その仕上がったプリント自体は(実のところ時間を割いているわりには成果が上がっていないのですが)、今までは当方の単なる自己満足のため、自己表現のため、そして表向きには一応販売という形で公式にインターネットを介して発表するためのものでありました。

いわゆるフォトコン主義ではない

これまでプリント制作を行ってきて、決して多くは無いですが恥ずかしながら個人的に満足できる『作品』と呼べるものも数点仕上げることが出来ましたが、不思議とそれらを各種フォトコンテストや公募展などに送ることはあえてしませんでした。

それは単純に各種コンテストのレギュレーション、つまり応募に当たっての主催者様側の規定云々が私がその作品に望まない形式のものがほとんどであったからということも大きな要因のひとつであるのですが、そもそも “賞レース然” としたフォトコン自体に熱心になるタイプの人間ではなかったからかもしれません。

かと言って私は決してフォトコン自体を否定する人間ではありませんし、なにより外的評価の位置づけやその価値自体もいわゆる “受賞経歴” として撮影者にとっては決して小さくはないだろうとは思っています。なにより大きな規模のコンテストや公募展での入選および選出ともなれば大きくプリントされて立派な展示会場で日の目をみて、より多くの方に鑑賞してもらえて、その作品の鑑賞者に対しても大きな刺激を与える良い機会を得ることにもなると思います。撮影した写真が多くの人にインターネットを介した間接的ではないリアルで直接的なアプローチ、いわゆる “物理的なプリント作品” としてダイレクトに伝わるのは撮影者にとって実に大きな意義かと思います。

しかしすでに私個人は自分なりの『独自の世界観の構築』というと大袈裟ではありますが、撮影した写真をどのようなコンセプトを持って作品として昇華させていくか、そういったことにより興味が湧いていたところがあって、残念ながら気付いた時にはそれを他人様の規定、他人様に決められた枠組みや御意向に合わせていくことに意識が向かない人間に既になってしまっていました。

自己満足行為

それまで仕上げたプリント作品を公の場でリアルに展示することは特に考えていませんでした。私はどちらかというとプリントの “制作自体” に重きを置いていたところがあって、如何に良いプリントを仕上げるか、どうすれば撮影したときに感じたその写真に対する自分のイメージを紙に落とし込めるか、そういうことばかりに興味があって夢中になっていました。

言ってみれば究極の “自己満足行為” そのものと言えるでしょう。

そこにはフォトコンのような外的評価もありませんし、この作品を他人様が鑑賞してどう思うだろうか?という本質的には本来介在すべきではない懐疑心など一切存在しません。純粋に自らの『美』に対する思想や考え方を信じて、それに従って作業を進めていけばいつかはたどり着きたい目的地に着くものだと思っています。(それがなかなかに難儀なことなのですが…)

デジタル画像と作品の日の目

プリントの良いところは当然ながら『プリントそのものが作品』であるところです。何を当たり前のことを言っているんだと思われるかもしれませんが、実のところ私はインターネットを介したデジタル画像は本当の意味での『作品』という体を成していないと考えています。

画像の鑑賞者が見ているデバイスは様々です。
PCモニター、スマートフォン、タブレット…。実際にこのブログの分析プログラムを解析してみると実に様々なデバイスで見ていただいていることがよく分かります。もちろんその画像の見え方というものもそのデバイスの機種によっても様々です。とくに最近のスマートフォンなどは “見栄え” が良くなるようにWBやコントラストが捻じ曲がっているものがほとんどだろうと思われます。

やはりプリント作品の作り手としては、ネットを介したこのようなデジタル画像は決して満足できるものではありません。少なくとも私は制作する作品に対して自分のイメージに極力近づけるように何度もプリントを繰り返してはやり直し、紙の質感が作品のイメージに合うように何度も紙を選択し直したり、そういう気の遠くなるような作業を繰り返し行ってプリントを仕上げています。

撮影後の編集にはキャリブレーションされたモニターを使用していると言ってもそれはあくまで仮想と言える “デジタル画像” であって、これを物理的な紙に作品として落とし込む作業は実に難しいものであると感じています。色や調子が合っていれば良いかと言えば実はそう単純なものではなくて、私は画的なコントラストや明暗の強度のほか、なにより紙の持つ個性にマッチさせることが実に奥が深いと感じています。これは労働として対価をもらう作業ではないので、納期も無いことから心行くまで納得いくまで作業することが出来てしまうのも私が “プリント海溝” と呼ぶ、言わば抜け出すことが容易ではないひとつの要因ともなっています。

つまり作家の “作品” というものと真摯に向き合い、それを正当に鑑賞していただける場というものは制作されたプリントそのものを『展示』するしかないことになります。このようなインターネットを介さない展示ということであれば、今後はデジタル画像であっても超高解像HDRモニターを設置して投影する展示もまた新たなる表現方法の一端を担うことと思いますが。

写真展について

以前なにかの記事で書かせていただいた記憶がありますが、それまで私は『写真展』というものにほとんど足を運ばない人間で、もっぱら鑑賞と言ったら『絵画展』ばかりでした。

それは『絵画展』は偉大な画家たちが残した絵画から大きなインスピレーションを間接的に受けることが出来ると思っていて、それを自分の中で改めて反芻することで撮影や作品作りに活かせると思っているからですが、ことそれが『写真展』となるとどうしても直接的な影響を受けてしまって、感銘を受けた写真作品のイメージに自分の作品も近づけようとするかもしれない自分が嫌だから、ということも影響しているからかもしれません。

特に私が今まで積極的に撮影してきた山の写真の展示会なんかに足を運んだら感銘を受けることも多いでしょうから、きっと

「私も今度この撮影地に行ってこのような写真を撮ってみたい」

と、すでにその方によって撮影された作品の “後追い” をするようになるかもしれません。

ただ『写真展』そのものは先述した通り、撮影者や写真家、フォトグラファーたち制作者のリアルなプリント作品の発表の場としては最高の舞台なのではないだろうかとは前々から思ってはいました。

プリント作品はインターネットを介したデジタル画像とはまるで違います。
適切な色調やコントラスト、濃度、輝度、そしてプリントに使用した紙の質感も合わさってあらゆるものが制作者の本意に沿っているはずです。もちろん予算や時間の都合でなかなか完璧とまではいかないのでしょうが、それはデジタル画像とはまるで違う質感や臨場感を伴い鑑賞者に訴えてくるものですし、一般的な印刷物の写真集ともまた別次元のものと言って良いでしょう。

内に籠って制作を続けてきた決して多くは無いそういった私のプリント作品も『展示』という形で鑑賞してもらえるのならばひとつの節目と感じますし、なにより展示することで私自身も多くの学びを得られるのではないかと考え改めるようになりました。

新たなる構想

展示会をやってみたらきっと大きな学びとなる、そう思い始めてから実際にどのようなものにしようかと考えてみました。幸い私は写真展というものにほとんど足を運ばない “モグリ” のような写真展素人ということもあり、それならば既成概念の無いことを良いことに、ある程度規定レールから外れても良いから自分が考えるエキサイティングなものにしたいと考えるようになりました。

とりあえずの願望と大まかな青写真は以下の通りです。

①集大成的な構成

これまでまったく展示というものをして来なかったこともあり、展示するものは私が過去に撮影したものの集大成的な構成にしたいと思っています。基本的にはある程度撮影期間を決めて、その期間に撮影されたものを集中的に展示することが一般的かと思いますが、私の場合そもそも作品数が極端に少ないので、そうするとボリューム的に問題があります。

ざっくりとここ10年くらいの間に撮影、作品化させたものを雑多に展示するという形になりますが、ここ最近は撮影自体に行く頻度も減ったことからこのような選択にせざるを得ません。

②テーマはざっくり『北アルプスの光』

テーマも展示にとって非常に大きな構成要素となると思いますが、こちらは北アルプスの山岳写真に絞って展示するという形であえてテーマとしようと思っています。北アルプス以外の山々でももちろん多く撮影を楽しんできましたが、私がもっとも足繁く通った山域、それが『北アルプス』になります。

北アルプスで見た美しい風景、
感じた空気、
思い出せば蘇ってくるような山の匂い、
暑さや寒さ、
夜の静けさ、
煌めくような星空、
健気で逞しい動植物たち。
私がこれまで辛くとも撮影して来れたのはやはりこの体験があったからに他なりません。私を受け入れ、私を励まし、私を称えてくれた北アルプスの山々。そしてその山々で経験した美しい光、そういったことをテーマとして作品をセレクトする予定です。言ってみれば展示はこれら山々に対する私の感謝の意の表れでもあります。

その北アルプスの中でも個人的に大好きな被写体でもある槍ヶ岳は最も多く撮影してきた山であるので、その『槍ヶ岳』に絞って展示する機会が別にあっても良いかと思ってもいます。

③数ヶ所で展示

どうなんでしょう、写真作品の展示は1度写真展で展示したものは次の写真展では展示しないものなのでしょうか?もちろんたいへん著名な写真家さんや作家さんの作品であれば写真展を開こうものならば多くの方が足を運ぶとは思いますが、私のような無名の作品は展示したところで多くの方には来ていただけないものと容易に予想できます。

私は以前からアート作品は一過性のものであってはならないと思っています。そのような観点から同じ作品を何度も展示しても良いだろうと考えております。もちろんギャラリー(特にメーカー系)の中には “展示作品は未発表のもののみ” という制限が設けられているところも多いことは重々理解していることではありますが。とは言え、全く同じ構成では再訪してくださる方(※いらっしゃらないとは思いますが)が楽しめないと思うので、15点ほど用意しておいて、それを数ヶ所でそれぞれ10点前後を会場に合わせてセレクトして展示する形にしたいという希望があります。

ただご存じの通りレンタルギャラリーはそれ相応の費用も掛かりますし、それが数ヶ所ともなると予算的にもバカにならないので、今後の展開次第ではありますが。

④すべて私自身がプリントしたもの

展示に際し、もちろんすべて私自身の手でプリントした作品のみを展示する形にしたいと考えています。そうでないと意味がありません。

A3ノビを超えるような大きなプリントに限っては外注に頼っても良いですし、プロの外注業者を信頼していないわけでは決してありませんが、私は私なりの思想哲学をもって作品制作を志し “オリジナルプリント” を標榜しているわけですから、そこは私が自らプリントして作品の可否の判断を行わないと辻褄が合わないことになります。

ただ展示に際し、あまり複雑なことしてしまうと完成および展示にまで至らなくなるのは自分自身でも理解していることです。発表済みのプリント作品は特に紙の選択にまで細心の注意を払って、極力理想状態の完璧に近い完成となるように作品によって用紙も変えていますが、展示となるとある程度の統一感も必要ですし、なにより膨大な作業量を少しでも軽減させたいこともあって使用するプリント用紙はハーネミューレの『フォトラグ(308gsm)』に限定する予定です。このアート紙は私自身がもっとも使用頻度が高い紙ということもあって、ある程度どの写真もうまく表現してくれる印象を持っています。展示を行う各ギャラリーの環境光の影響を受けにくいスムース系のマット紙であることも展示においては良いようにも思いますし、もちろん紙を統一することによって予算を押さえることもできます。

このような展示することを前提とするならば発表済みのものも含めてすべて一からプリントを見直し、現像やレタッチ含めて新たに制作することになるでしょうし、それと同時に額装にも拘って、より作品が引き立つような特別感のあるものに仕上げたいと考えます。

⑤友人たちの作品も展示

そしてこれがこの構想でもっともエキサイティングな要素になるかと思います。それは決して多くは無いですが、志が同じ私の知人・友人たちが撮影した素晴らしい作品も私がプリントして同時に展示したい、ということです。

おそらくこんなことをやっている方はいないのではないでしょうか?
もちろん現像やレタッチ、プリントの仕上がりはその作品の撮影者と詰めていかなければなりませんが、私は私で、私なりのプリント作品の思想や技術、レタッチが果たして私自身が撮影していない写真でも表現できるのか、うまく作品として昇華できるのか、ぜひやってみたいと思っているところです。

それに展示に伴い、やはり私の作品数の少なさは切実なる問題でして、その埋めることのできないピースを友人たち若い写真家の素晴らしい作品で埋めてもらおうという趣旨もあります。もちろんこれを実現するには撮影者ご本人様の許可が必要なので、どの程度実現できるかは未知数ですが、実現したら実にエキサイティングな展示になると思っています。

こうなると当然ながらいわゆる純粋な『個展』ではなくなってきます。しかしもともと私はその『個展』というものに対して強い執着心はなくて、それはこの一連の山の作品は私が全くのゼロから作り上げたものではないと考えるからです。あくまで “北アルプス” という地が私に撮る機会をたまたま与えてくれたものであると考えていて、それはつまり私の個展ではなく『北アルプス展』であるべきだろうと思えてくるのです。

⑥フォトブックの制作

さらにこのような構想を取り纏めたブックも制作したいと考えています。内容的には展示に連動したいわゆる『写真集』的なものになるかと思いますが、こちらもやはり自らハーネミューレのフォトラグにプリントしたもので構成しないと意味が無いと考えているので制作自体は “自作” ということになるでしょう。

もちろんフォトブック自体の品質で考えれば専門業者による製本制作のほうが良いのでしょうけれども、そもそも多くの部数を制作する予定ではありませんし、どうしてもコスト的に負担が大きいこと、さらに個人的に外注による印刷は作品本来の良さが伝わりにくいと思っていますので、自作のほうが良いだろうと思います。

『写真集』というよりは『作品集』に近いものにしたいので、プリント自体が “本物” でなければならないので今回の一連の作品群の質感はそのままに “サイズダウン版” と言えるもの、いつでもどこでも手軽に鑑賞できるものにしたいと思っていますが、それと同時に既製品にはない特別感のあるものになればとも思っています。

・ ・ ・

いま掲げたこれらの要素のうち果たしてどのくらい具現化できるのか、これを執筆している現時点では私にもわかりません。こればかりは時間と予算(資金)、そしてなにより私自身の気力がどこまで持つか、甚だ疑問だからです。

最後に

以前の記事でも投稿しましたが、このような構想を思い描くようになるとは私自身も非常に驚いているところで、その根本的なきっかけが某感染症拡大の防止による “お上” からの自粛要請でした。もちろんその2020年初頭はまだまだ撮影意欲ばかりが強くて、それこそまだ誰も撮ったことが無いような “すごい写真” を撮ってやろうと鼻息が荒かった頃でした。

『人間万事、塞翁が馬』
当時は感染症拡大の抑止のため撮影山行に行けないことは残念でしたし、この先どうなってしまうのか、登山という文化はどうなってしまうのか、と危惧したものです。しかしこのようなことが無ければ私の写真活動に対する考えもまた違ったものになっていた、もっと言うならば、今まで通り “ただ闇雲に” 撮影行を続けていたかもしれません。

人生のめぐりとは実に特異性のあるものだと感じています。
偶然なのか、それが必然だったのか。

 

今回の記事は以上になります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

2023年7月某日 Tenma