『揺らぎと呼吸』ある初夏の高尾山 – 景信山縦走

DIARY

ようやく(今更?)の2025年 “登り始め”

2025年6月、梅雨入り間近というこの初夏に高尾山から景信山へと縦走登山に出掛けた。実はこの山行が2025年の最初の登山である。最後に山を歩いたのが昨年2024年9月のこれまたほぼ同じコースとなった雨の高尾山 – 景信山縦走であったから、実に9ヶ月弱も間があいてしまった。

夏の終わりに雨の奥高尾を歩く(高尾山口~小仏城山~景信山縦走)

今後は私にとって里山が山歩きのメインフィールドになるとは思っていたので、連続で高尾山域の山行になることは不思議ではないが、まさか私自身9ヶ月近くもブランクが空くとは思いもしなかった。その間は精力的に天体遠征に出かけたり、年明けからは一転して街に出かけてスナップを撮ったり、フィルムカメラを携えて撮影に出かけたり、それでも撮影だけは楽しんではいた。しかし一度山から遠ざかってしまうとなかなか次の山行が見えてこなくなることはよくあることで、実際に私自身過去に何度もあったことだ。

2024年11月 天体写真千葉遠征(バラ星雲、クリスマスツリー星団)

ただおそらく再開の最初の山は高尾山になるだろうなとは思っていた。
その日の調子によって予定コースが無理そうだと分かればエスケープルートも多く、逆に思いのほか調子が良いならばもう少し足を延ばして…と柔軟に山を歩くことが出来るのがこの山域の良いところでもある。

写真(静止画)と映像(動画)

いつもはもちろん写真を撮りながら、高尾の美しい自然豊かな表情を楽しみながら歩いているわけだが、今回はすこし趣向を変えて、写真(静止画)ではなく映像(動画)を撮りながら歩くことにした。別に写真に飽きたとかそういうことではなく、単にそれぞれの “時間の表現の違い” について興味が湧いただけである。

写真と映像。
どちらも時間と空間を表現するものである。

写真は時間を止めることで絶え間ない時間の流れの一瞬を切り取る。
映像は時間を止めずに絶え間ない時間の流れをそのまま表現する。
方法は違えど、どちらも時間を表現するものである。

空間に関してもそれぞれ独自の表現であるが今回はカメラをあえて動かさず(FIX)、空間的には写真的な表現に近づける方法を試みた。とカッコつければそういう言い方も出来るのだが、その実、本当のところは写真ばかりやってきたツケか、カメラワークがおぼつかないという理由もあった。

さらに今回はすべてモノクロで撮影を行った。
モノクロは色が存在しないため、その光の明暗だけですべてが記録される。実にシンプルであるが、そこには写真や映像表現の基本が詰まっている。

『揺らぎと呼吸』

撮影および編集するにあたって今回は “揺らぎ”“呼吸” をテーマとした。
風に揺らぐ植物、なびく山小屋ののぼり。
沢の水の流れ、登山者の熊鈴の音。
時間の息遣い、呼吸。
すべてが揺らぎとともに連関し、息を吸っては吐く。
その吐息がすべてを紡いで大きな世界を編んでいる。

映像ということで高尾の牧歌的な雰囲気に合うようなBGMも加えて、ゆったりとしたのどかな高尾山行の様子を表現できるように心がけた。5分程度のショートクリップ集、もしお時間が許すようであれば、ご覧いただければ幸いです。

TenMa|YouTube