2023年9月 中の湯登山口~石室山荘~剣ヶ峰~三ノ池~一の又小屋~中の湯登山口
残暑厳しい2023年9月初頭、ひと時の清涼をもとめて美しき木曽の3,000m峰『御嶽山』へ。宿る追憶と慰霊を胸に登る雄大なる霊峰御嶽。今も残る山岳信仰と活火山の光と影。
- 9ヶ月半ぶりの本格登山
- 木曽御嶽山
- 今回のコース
- 序盤、中の湯から女人堂へ
- 石室山荘までの急登から剣ヶ峰へ
- 追悼、剣ヶ峰から三ノ池へ
- 限界の帰路
- 改めて木曽御嶽を登って
9ヶ月半ぶりの本格登山
昨年2022年中頃から腰を据えて作品制作に没頭していたこともあって、登山ザックを背負っての本格的な登山は実に久しぶりとなってしまった。記録を辿ってみると2023年5月に友人たちとともに比較的小規模な撮影会形式となった高尾山登山を挟み、2022年11月の燕岳テント泊登山以来、実に9ヶ月半ぶりだ。
それに梅雨を過ぎていよいよ暑さが本番になってくると、夏がめっぽう苦手な私はまったく山に意識が向かいないのがここ数年のルーティンにもなっている。(現に夏の北アルプス小池新道シシウドヶ原は思い出すだけで悪夢であった記憶しかない…)
そんななか、来るべき10月に北アルプス遠征を予定に入れたことで、この鈍りに鈍りきった体を徐々に山仕様に戻すために、そしてまた登山の勘を戻すために日帰りでも良いのですこしでも山を歩いておかなければならないという言わば強迫観念にも迫られてきたのである。しかし昨今はお盆を過ぎても残暑があまりに厳しいということで、少しでも標高の高い山で練習したいところであった。
木曽御嶽山
そのトレーニングのためいくつかの山を候補とした。
昨年も登り始めとなった日光白根山(奥白根山)をはじめ、苗場山や浅草岳、黒斑山、そして愛すべき谷川連峰などを考えてみたが、とくに今年の残暑は気温が全く下がらないのでより涼しさを求めて3,000mを超える木曽御嶽山に登ることに決定した。
追憶の木曽御嶽
木曽御嶽山は私にとってとても大きな存在の山である。
登山を本格的に始めた初期のころから私はその美しさと雄大さに魅了され、たびたび登っていた。独立峰らしい秀麗さと山頂付近の火山カルデラの荒々しさを兼ね備えた名峰中の名峰であると思う。さらには山岳信仰が今も色濃く残る山でもあり、その歴史と美しい自然の宝庫を考えれば深田百名山の中でも重要な位置付けであろうし、私にとってみればその若かりし日の良き想い出を含めれば間違いなく日本“十”名山のひとつである。
その山容の雄大さは『独立峰にして山脈』である。
たまに時間を見つけては当時フィルムで撮影していたものを引っ張り出して眺めて、あの美しい山容に想いを馳せることもあるくらい、私にとっては北アルプスや谷川連峰とともに愛すべき山のひとつである。
しかしここ10年くらいはまったく足が向かずにいた。
それはみなさんご存じの通り、あの2014年の痛ましい、あまりにも悲しい出来事があったからだ。それ以来、直接登ることは控え、この大好きな御嶽に対して私は遠くから眺めに行ったり、星景撮影の対象としてかかわってきた。
当時この噴火を伝えるメディアを目にしたとき、
私は自分の目を疑ったのをよく覚えている。
「そんな、まさか…」と。
当時はまだまだ若くて思慮に欠けることもある時期で、山を、自然を深く理解もせずに、とにかく数だけをこなすピークハントを目的として山に登ることも多かった。もちろん当時、御嶽山が活火山であるという認識だけは持ってはいた。
しかし桜島や雲仙普賢岳とは違う。
それは例えば福島の名峰磐梯山や北アルプス焼岳、噴煙が止まない浅間山(当時は前掛山まで登れていた)に登ると同様に、御嶽も日常的にレジャーとして気軽に登れるものという認識であった。
しかし甘かった、実に認識不足であった。
その災害を伝えるメディアを見て大きなショックを受けた。
そしてこともあろうにその噴火が起きたのが絶好の秋の紅葉時期、しかも週末の好天のお昼時という時間帯であったことも大きな被害になってしまった要因となった。
2014年9月27日11時52分―。
この時でなければならなかったのか…。
なぜに、どうして?
自然とは実に無情である、我々にとっては無常としか思えない。
御嶽山は3,000mを超える険しい山であるが、その反面登山口がいくつも整備され、登山道や山小屋もとても多く、老若男女、ビギナーからベテラン、そして修験者も受け入れる、実に歩きやすい山であることは間違いない。
その日、その時間、当然私も登っていたかもしれない。
なぜにこの日、この時間を選んで噴火したのか、自然に問いたくなる。この噴火により悲しいことに実に58名の登山者が犠牲となり、行方不明者5人という戦後最大の悲劇の山岳事故となってしまった。
慰霊登山
私は山歴がすでに15年以上をとうに経過し、30歳を過ぎてから登山を始めたこともあって残念ながら年齢的なことを考えると重登山するにはもう折り返しに来ている。私は今までの経験上、本格登山(標高が高く岩稜帯を含むという意味)は老齢になっても続けられるものではないと考えている。
今では自然はそれほど甘くはないことを私は理解している。
それとともに年齢に伴う気持ちの変化もあって最近は “山引退” が頭をたびたびよぎるようになっているが、その前に是非ともやっておきたいことがいくつかある。その中のひとつが『御嶽山慰霊登山』である。しかし地球規模である火山活動において人間の時間軸が通用しないことは重々知っている。剣ヶ峰にて手を合わせることが出来る前にもう私自身が山を止めているかもしれない。
そんな折、2017年には噴火警戒レベルが1に引き下げられ、その後いくつかの登山道の立入規制も徐々に解除され、山小屋も営業を開始し始めた。そして2023年、実に噴火から9年、被害がもっとも甚大であったという王滝頂上から剣ヶ峰までの八丁ダルミの登山道が規制解除となった。
「手を合わせに行こう」
9か月半ぶりの本格登山に向けて私は木曽路へ車を走らせた。
今回の登山コース
私は過去、御嶽山に登るときはすべて王滝コース、いわゆる田の原から山頂まで、または二ノ池までのピストン登山がほとんどであった。しかし今回はトレーニング目的でもあったので、初めて中の湯登山口から剣ヶ峰を目指し、そこで慰霊碑に手を合わせ、その後は二ノ池から三ノ池へと巡って中の湯登山口に戻るコースとした。
中の湯登山口が標高1821m、剣ヶ峰が標高3067mなので標高差1200mを超え、行程自体も11kmを超えてくるので日帰りとしてはそこそこタフと言えるだろう。序盤の鬱蒼とした森林部から森林限界を越え、山頂部の荒々しいカルデラの様相、そして三ノ池や二ノ池など美しい火山湖の景観や高山植物も楽しめる、非常に中身の濃いコースと言えるだろう。
今回はこのコースをテントや撮影機材等を詰め込んだ13kgのザックで歩くことにした。御嶽山にはこの中の湯コースのほか、過去に歩いた田の原を起点とするコースや、濁河温泉を起点とするコース、開田口を起点とするコースなど、実にバラエティに富んだ、そして登山者の体力に合わせてコースを選択できるのも御嶽山の大きな特徴だろう。山小屋も多いので日帰りだけでなく、宿泊してじっくり山と対峙できることも可能であるが、残念ながらテント場は無い。
序盤、中の湯から女人堂へ
前夜、残暑厳しい下界から車で一気に1800mの登山口に着くと、そこは季節がひとつ進んだかのような涼しさに包まれていた。夜明けまえに起床するとすでに東からオリオン座が昇り始めていた。下界では猛暑続きでも、もう季節は秋である。
軽い朝食を済ませてから支度をして、まだ暗い中4時過ぎに歩き始めた。
中の湯登山口は六合目にあたり標高1821m、伊那ICより車で所要2時間ほど。
駐車料金は無料で約65台駐車可能。
登山口までは道幅の狭い箇所もあるが概ね舗装されダートはなし。
綺麗なトイレが完備され、本数は少ないが木曽町営バスのバス停もあるので公共機関を利用しての登山も可能。(詳しくは長野県木曽町生活交通システム時刻表リンク参照)
すこしばかり暗めの古いタイプのヘッデンの明かりを頼りに良く整備された登山道を登っていく。20℃を下回っているだろうか、予想通り登山するにはちょうどいい気温だ。どうやら今回この山を選んで正解だったようだ。
日の出は森林限界の手前、まだまだ鬱蒼とした森の中で迎えた。
出来ることなら眺望の効くところで日の出を迎え撮影したかったが、樹林帯の木々の間から見る美しい朝のグラデーションを見るのも悪くない。木々のひとつひとつが、葉の一枚一枚が、天然の格子となってグラデーションに影模様をつけている。
ゆっくりとしたペースで登るも、どうしても息が上がってしまう。下界の恵まれた環境に慣れていたせいか、心肺機能が著しく低下しているのを痛感した。少しペースを落としつつ、さぁまもなく森林限界だ。
石室山荘までの急登から剣ヶ峰へ
樹林帯を抜けると同時に八合目に建つ山小屋『女人堂』が見えてくる。下山時は三ノ池からここに戻ってくることになる。今日は下を見れば見事な雲海が広がり、上を見上げれば目指す御嶽の山頂部が目に飛び込んできた。
日の出とともにあたりが白んでくるとこの山が山岳信仰のメッカであることを再確認した。日本の山は大小に関わらずそのほとんどすべてがご神体でもあり、仏像や石仏が建てられているケースが多いが、この御嶽はそのレベルが違う。
たいへん立派な仏閣に建立されているような仏像や石仏が登山道の各所に建てられている。その様はまさしく山岳信仰の中心といえるだろう。
女人堂から石室山荘までは急登で、遥か先に見えている山荘とは登っても登ってもなかなか距離が縮まらない。疲労のためか、その人工物がまるで蜃気楼のようだ。
ようやくたどり着いたその山荘前のベンチにて小休止のあと、剣ヶ峰に向けて再び登るが足が重くてまったくペースが上がらない。ただ涼しい空気が掻いた汗を一瞬にして乾かしてくれる。
二ノ池への分岐まで来るといよいよ剣ヶ峰が見えてくる。
追悼、剣ヶ峰から三ノ池へ
剣ヶ峰へは8:30前に無事に到達。
実にここまで4時間を要した。
正直、途中剣ヶ峰は諦めようかと二ノ池へそのまま向かいかけたが、慰霊碑に手を合わせたい一心だけでなんとか登った。久しぶりに眺める剣ヶ峰からの眺望は若かりし日の追憶を伴って実に感慨深いものがあった。それは当時見た眺望と変わらないはずなのに、なぜにこれほど違って見えるのか。
混み合う山頂部をすぐに下りて、ようやく直下にある慰霊碑に手を合わすことができた。あの災害からもう9年も経ってしまったが、改めて心よりご冥福をお祈りできた。この付近であの噴火に遭ったとは、実に底知れぬ恐怖であったろうと想像に難くない。
山の偉大さ、雄大さ、美しさと同時に大きな恐ろしさ、いわゆる畏怖の念にも近い感情も改めて肌で感じることが出来た。
山の持つ、自然の持つパワーはあまりに強大で、計り知れない。
規制解除となった八丁ダルミを次々に登ってくる登山者を眺めながら山頂直下で3、40分ほど休憩後、二ノ池へ向かって下り始めた。その二ノ池、私が以前に登った時はエメラルドグリーンのまさに火山湖然とした青々とした神秘的なイメージがあったが、現在は噴火の影響であろうか、残念ながら火山灰によってまるで灰の蓋がされているような、殺伐とした印象になってしまっていた。
こればかりは自然のことなので仕方のないことだ。そのとき、そのときに出会った美しい風景、山の表情というものは当然のごとく巡りゆくものである。だから我々登山者はしっかりとその時に出会えた風景を目に、そして心に焼き付けなければならない。
こんな殺伐としたところにも花は咲くのである、命を紡いでいるのである。
二ノ池山荘にてトイレを拝借して(利用料200円)から登山者で賑わう二ノ池ヒュッテ、そしてサイノ河原へと降りてくるとそこは素晴らしい景観が待っていた。
サイノ河原とはもちろん仏教の世界で言うところの死後における三途の川の河原のことであるが、実は日本の山岳地帯において鞍部にはこのような名称がつけられることが多い。そのあたりも日本の山が自然崇拝、自然信仰において重要なものを担ってきた名残と言ってよいであろう。そしてその賽の河原のどれもが美しい景観を放っている。
そこはまるで雲が「まだ夏を終わらせない」と言わんばかりに頭上を彩っていた。小休止がてら、ここでザックを下ろして、ひとしきり撮影を楽しんだ。
白竜避難小屋まで登り返すと眼下には神秘的な蒼さで三ノ池が迎えてくれていた。そしてもちろん振り返れば御嶽の異形が聳えている。
あぁ、なんて美しさだ…
やはり木曽御嶽は実に素晴らしい!
限界の帰路
三ノ池避難小屋まではザレ気味の急斜面を下って行く。
ここまでの蓄積疲労がこの下りをより困難にさせた。
少しでも油断すると足をとられて、下まで転がってしまうように感じた。
三ノ池まで下ってしまえばあとは女人堂まで緩やかに御嶽の斜面をトラバースするものだろうと予想していた。しかし登山地図で見るのと現実は違っていた。いくつかのロープやチェーン、梯子、そして涸れ沢をやり過ごしながら、登り返しもある実に歩きごたえのある下山となった。とくに沢の登降に関しては雨天のときなど増水や落石に十分注意が必要だ。
陽も高く上がって気温が上昇するもさすがに標高が高いこともあって、日陰になり風さえ吹けば涼しいものであるが、持ってきていた水分もこのあたりでかなりの量を消費していた。ちょうどそんなところでようやく長いトラバース道も八合目の女人堂が見え始めて終わろうとしていた。
小屋にて冷えたスポーツドリンクを購入し、乾ききった体内に一気に流し込んだ。この小屋前には多くの登山客が休憩されていた。老若男女のほか、外国からいらした登山者や、修験目的の方々も多く見かけた。御嶽山の登山者は実に多種多様である。
その後は登山口の中の湯登山口に向けて緩やかに下って行った。
怪我やトラブルも無く、13時半に下山を無事完了させることが出来た。
9か月ぶりの登山、半端ない疲弊感に襲われたのは言うまでもない。
改めて木曽御嶽を登って
あの痛ましい山岳事故から9年、今回ようやく慰霊碑に手を合わすことができた。事故以来、遠くからこの秀麗な山を眺めていると、なにか自分の中でつっかえるものがあった。
もちろん山は楽しいものだけではない。
事故は付き物である。
そう頭で理解はしているのだけれども、なにか自分のなかで消化しきれないものがあったのだ。しかし今回、こうやって改めて御嶽に身を置き、御嶽の鼓動を感じながら、
山を見、
空を見、
森を見、
御嶽のすべてを感じたとき、そして手を合わせたことでなにか胸につっかえていたものがひとつ取れたように感じた。
山というのは生命の営みそのものであり、生でもあり死でもある。
その循環のなかで存在し、命と呼応しているのである。
生が死を呼び、その死がふたたび生を呼ぶのである。
2014年9月27日。
山を愛する者にとって決して忘れ得ないこの日に被害に遭われた方々にあらためて心よりご冥福をお祈りいたします。
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