『写真と絵画』~偉大なる名画たちに学ぶ光の表現と作品作り~

COLUMN

今回は写真撮影(風景・山岳)やプリント制作において個人的に大きな影響を受けた大画家たちが残してくれた名画の数々を取り上げてみたいと思います。当ブログのプロフィール欄にもありますが、筆者は彼らから光の表現構図、そして作品作りに対する姿勢に至るまで多大な影響を受け、「写真表現にもきっと参考になるはず」との思いで展覧会や回顧展が開かれるたびに美術館に足繫く通って、インスピレーションや刺激を受けてきました。

レンブラント・ファン・レイン
ヨハネス・フェルメール
ウィリアム・ターナー
フィンセント・ファン・ゴッホ
中でもこの4人の大画家は筆者が最も敬愛し、尊敬している画家たち。
今回はそんな彼らが残した “全人類の遺産” とも言える名画の数々の紹介です。

少し長めとなってしまいましたが(26分)、YouTube版もご覧いただければ幸いです。


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実は今回の記事の内容は私がこのブログをやろうと決めた時からずっと取り上げてみたいと思っていたテーマで、今回ようやくこの記事を手掛けることが出来て、ここまでブログを続けられて良かったと思っています。

(目次)

  • 写真と絵画
  • レンブラント・ファン・レイン
  • ヨハネス・フェルメール
  • ウィリアム・ターナー
  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • その他の画家たち



写真と絵画

さて、名画を取り上げる前にそもそもの大前提ですが、もちろん写真絵画では表現の方法論が全く異なるものです。写真そのものを学んだり、より良い刺激をもらったり、尊敬する、あるいは目標としている写真家さんやフォトグラファーさんがいらっしゃるならばその方々が開催している『写真展』に足を運んで作品を鑑賞することは大きな意義があると思います。さらにご本人様が在廊されているならばお話を聞いたり、ともすればワークショップなんかに参加するのも大きな “直接的な” 学びとなります。

筆者はこれから取り上げていく大画家の名画たちから大きな学びを得ましたが、写真とは違いどうしても “間接的な” 学びということになります。写真は絵画のような表現は出来ませんし、その逆もしかりです。ですがこの “間接的” というのは実に興味深いのではないか、と思うのです。

“間接的な” 学びであるが故、そこには例えば『光の表現方法』であったり『構図の取り方』、『コントラストの付け方』、『色彩』などの根底の考え方、表現のもっとも根本的な学びが得られるのではないかと思えるのです。個人的には写真からの “直接的” な学びだとあまりに直接過ぎてそれこそ表面的な模倣だけに留まってしまう嫌いがあるように思うのです。もちろん模倣から徐々に自らのアイデンティティを築いてゆけば良いのですが、それはそれでなかなかに難しい部分もあるかと思います。

よく音楽を聴いて詩の一節を思いついたとか、それこそ絵を鑑賞してメロディーが閃いた、なんてことはよくあるわけですが、そんな異なる表現のジャンルだからこそ得られるものは意外と多く、そして独特なものが生み出されることもあります。写真と絵画はそういった音楽や詩とは違い、実はお互い『2次元での表現』という意味ではそれほど遠い存在ではありません。それほど遠い存在ではないのにもかかわらず表現方法が大きく異なる、という何とも絶妙な立ち位置にも感じます。

レンブラント・ファン・レイン

まずは “光と影の魔術師” の異名で知られるレンブラント・ファン・レイン(1606-1669年)。レンブラントは17世紀、いわゆるバロック期のネーデルラント(現オランダ)で活躍した画家です。彼についてはまたいつか別記事で詳しく取り上げたいと思っていますので、ここでは詳しくは取り上げません。

ただひとつだけ、彼はなかなかに激動の人生を歩んだ、ということだけ…。

テュルプ博士の解剖学講義

『テュルプ博士の解剖学講義』(1632年・カンヴァス)

まず最初にご紹介するのは若きレンブラントの才能が際立った集団肖像画『テュルプ博士の解剖学講義』という油彩画です。こちらの作品は1632年、レンブラントが26才の時にカンヴァスに描いた初めての集団肖像画となる作品で、現在はマウリッツハイス美術館に所蔵されています。

描かれているのはニコラス・テュルプ博士が腕の筋組織を講義している場面で、それまでの集団肖像画とは違ったコンセプト、異なる構図で描かれており、非常に劇画タッチに描かれています。もちろんこの場面自体はレンブラントの創意によるもので、実際の解剖自体はテュルプ博士のような科学者は行わなかったとも言われています。

この作品にみられる “光と影” の対比は見事としか言いようがありません。
登場人物たちが浮き上がったように生き生きと描かれていますし、注目していただきたいのは同じ光でも『生と死』の表現の相違点。方や博士や見学者たちは血色が良くまさに生きているように、方や解剖されている遺体は血色が無く青白く、生命感のない光で描かれています。さらにそれらの光を浮きだたせるような漆黒の服のトーンの落とし方などは見事です。

光を際立たせるのは影、その影を際立たせるのもまた光
写真も同様に光と影を捉えるものですから、このあたりは私自身このレンブラントの作品から多くを学びました。写真の根本的な成り立ち、そんなものを深く理解するには一つの教科書的な作品ではないでしょうか。光と影を学ぶにはモノクロフィルムや、デジタルカメラのモノクロモードで撮影するのがたいへんおすすめです。

夜警

『夜警』(1642年・カンヴァス)

こちらはレンブラントの代表作でおなじみの集団肖像画『夜警』。良く知られるこの『夜警』という名称は実は通称で、正式名称は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』という長いタイトル。円熟を増したレンブラントが1642年に残した歴史的名画と言われている作品です。

こちらの作品も “光と影” の表現が見事で、その巧みな光を用いて3人(隊長・副隊長・奥の少女)の人物を浮かび上がらせています。“光と影” 以外にもこの作品には写真表現に通じるものがあると強く感じましたが、そのひとつがこの主要な3人以外の登場人物をあえて淡く描いているところです。もちろんレンブラントの腕をもってすれば画面すべてを緻密に描くことは容易でしょうが、そこをあえて主要3人以外を淡く低コントラストで描くことで作品全体の立体感はもとより、その主要3人の存在感がより際立って見えます。写真的にいうとこれはアウトフォーカス、つまり “ボケ” 的な効果があります。この表現によって鑑賞者の視線誘導に成功しています。この作品をパッと初見で鑑賞すればおのずとこの3人に目が行くことでしょう。

この作品は巨大な作品でもあり、約3.6×4.4mという大きなカンヴァスに描かれています。私は残念ながらこの作品を目にしたことは無いのですが、きっとこの作品を目の前にしたら圧倒されることでしょう。絵画はもちろん、写真プリントもその作品に適した “サイズ” があるというのが個人的な持論なのですが、例えば自然の雄大な風景を切り取った写真であるならばプリントサイズもおのずと大きくプリントしたほうがよりその作品の良さが伝わるでしょう。

ヨハネス・フェルメール

レンブラントに続いては同じく17世紀、バロック期のオランダで活躍した画家であるヨハネス・フェルメール(1632-1675年)の作品を見ていきます。フェルメールはここ日本においては絶大な人気を誇っている画家ですが、彼の作品が来日するような回顧展では連日長蛇の列が絶えない展覧会となります。

フェルメールに関しては以前に記事にしたことがあるのでここでは軽く触れたいと思います。

時を刻む魔術師、永遠の画家ヨハネス・フェルメール

真珠の耳飾りの少女

『真珠の耳飾りの少女』(1665年頃・カンヴァス)

まずはフェルメールといったらこの作品と言われる『真珠の耳飾りの少女』。この作品は彼の代表作であり、レオナルド・ダ・ビンチの『モナ・リザ』とともに歴史的肖像画と言われています。1665年頃に制作されたと言われており、現在はマウリッツハイス美術館に所蔵されています。肖像画と言ってもこの作品のモデルの少女は実在する少女ではなく、いわゆるトローニーと言うのが現在では定説となっています。

※トローニー
トローニーとは不特定の人物の頭部やバストアップを描いた習作全般を言います。実在のモデルが存在しないことで画家の創意やインスピレーション、オリジナリティを表現しやすい。
こちらの作品もレンブラントの作品と同様に光と影の表現が見事で、少女が浮き上がって見えてまるでこちらに何かを語りかけているような錯覚さえ覚えます。この少女の異国的な衣装や振り返っているポージングが独特の空気感を演出していますし、まさに時間を切り取っているとも言われるフェルメールの真骨頂の作品と言えるのではないでしょうか。

牛乳を注ぐ女

『牛乳を注ぐ女』(1657年頃・カンヴァス)

続いてはこちらも名画中の名画である『牛乳を注ぐ女』。1657年頃に制作され、現在はアムステルダム国立美術館に所蔵されています。この時期に流行していたいわゆる何の変哲もない日常を描いた『風俗画』のひとつです。

幸いにもこの作品が来日した回顧展にて私は実際に目にすることが出来ましたが、その時に強く印象に残ったのはこのエプロンの “青” の表現。いわゆる “フェルメール・ブルー” と称されるこの青の表現は当時とても高価であった鉱石『ラピスラズリ』を砕いて作った絵具であるウルトラマリンブルーが使われていると言われています。

フェルメールと言う画家の作品は現存する作品数が30数点と、とても少ない寡作な画家と言われています。彼の才能をもってすればいくらでも良作品をコンスタントに制作できたはずでしたし、そうすればお金に苦労することも無かったはずです。しかし彼は作品に対する拘りや姿勢を変えようとせずに、真摯に自らの作品に対峙していたのではないだろうかと想像せざるを得ません。私は彼の作品を見るにつけ、そういったものをひしひしと感じるのです。

自分の作品に対する愚直なまでの生真面目さ、誠実さ
これは写真作品を仕上げるうえでも見習うべき姿勢ではないでしょうか。カメラの原型と言われるカメラ・オブスキュラを下絵で使用していたと言われるフェルメール。彼の作品には写真に通じるものを感じますし、彼が現代に生きていればきっと素晴らしい写真家となっていたことでしょう。



ウィリアム・ターナー

続いてはバロック期のオランダから少し時代は進み、18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍したイギリスの風景画家ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851年)です。ターナーは初期の頃はとある風景画家に弟子入りし、その後美術学校(ロイヤル・アカデミー付属美術学校)に学び、いわゆる劇画タッチの “ロマン派” と言われる正攻法な画家でした。しかしイタリア旅行後は光の表現の追及に注力するようになり彼独特のタッチの作品、いわゆるその後にやって来る “印象派” に先駆けて抽象的な作品を制作しました。

海の漁師たち

『海の漁師たち』(1796年・カンヴァス)

この作品はターナーがロイヤル・アカデミーの会員になって初めて発表した作品で、1796年に制作されたものです。ワイト島の沖合にて月明りに照らされた荒波のなか漁をする小舟を描いた作品で、この作品を発表したことでターナーは多くの人に知られることになります。

雲間から覗く月、
その月光に照らされる荒波、
その中に浮かぶ一艘の小舟、
自然と人の群像劇をドラマティックに描いた見事な作品です。

“光と影” の対比によって主題を浮き上がらせていることもさることながら構図的にも良く練られていて、雲間から覗く月や小舟を画面の中心に置きたいところですが、ターナーはそこをあえて左に寄せ気味に描いています。このような構図をとることで画面全体に不安定感を持たせ、荒波に揺れる小舟の孤独感を演出し、鑑賞者の胸になにかザワザワした感覚が与えられています。初期のターナーの代表作と言えるのではないでしょうか。

この路線のまま描き続けても画家として後世に名を残すことは間違いなかったでしょうが、その後のターナーの作風の変貌には実に驚かされます。

湖に沈む夕日

『湖に沈む夕日』(1840年頃・カンヴァス)

この作品は1840年頃に制作されたものと言われていますが、実はもともとこの作品は展覧会用に発表するために描かれたものではないと言われています。この作品は彼のアトリエの中で彼のイマジネーションをカンヴァスに、ある種実験的に描いたものと言われています。

イギリスを飛び出してヨーロッパ各地を旅したターナー。
その時にターナーが見た美しい風景と光。
この作品は画家として光の表現に主眼を置き始めたころの習作と言うべきでしょうか。こういった新しい表現方法はもちろん当時は賛否あったことは想像に難くないですが、画家として表現の幅を広げていきたいと思うのは当然のこと。

自らが見た光、感じた光。
それはもはや明確な形などない、明確な色など無い、というのがターナーの導き出した答えだったのではないかと私には思えます。

写実的な表現では決して表現しきれないのが光というもの
その後、彼はこの手法を使った数々の作品を残していきます。
『吹雪:港から流された汽船』『聖ベネデット、フシナに向かって』『雨、蒸気、速度ーグレート・ウェスタン鉄道』。まさにこれらはターナーでなければ決して描くことが出来ない名画ではないでしょうか。

孤高にして、唯一無二。
光の求道者、光の画家ターナーの作品には我々の前に広がるこの “光” の正体のひとつが描かれているように感じます。

ちなみ本作品はイギリスにあるテート美術館に所蔵されているとのことですが、今夏に『テート美術館展 光 - ターナー、印象派から現代へ』としてここ日本(東京・大阪)に来日する予定となっています。某何某の影響でこういった大規模な展覧イベントが開かれなくなっていて残念に思っていましたが、いまからとても楽しみにしています。

『テート美術館展 光 - ターナー、印象派から現代へ』|展覧会HP

フィンセント・ファン・ゴッホ

最後は誰もが知っているであろう “炎の画家” と言われているフィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890年)です。彼は作品数も多いことから展覧会が開催される機会も多く、私個人的にも最も多く展覧会に足を運んでいる画家のひとりです。

ゴッホ展・上野の森美術館

若いころは画商で働いたり、聖職者として活動していたりと不安定な生活を送っていたフィンセント。その後に画家として活動することになるのですが、早くに亡くなられたということで画家として活動期間は短いのですが作品数が多いということで、期間中は精力的に作品を制作していたことが窺えます。“ポスト印象派” の代表的な画家として世界で最も有名な画家のひとりでもあります。

ジャガイモを食べる人々

『ジャガイモを食べる人々』(1885年4-5月・カンヴァス)

この作品はゴッホの初期の頃の作品。
ゴッホと言うと南仏アルルに移ってからの光に満ちたあの黄色い絵画群がたいへん有名ですが、まだ駆け出しの頃は実はこのような暗く重厚なタッチの作品が多いのが特徴です。

1885年オランダのニューネンにて描かれたこの作品はそれまで聖職者として活動していた影響が残り、自らの手を汚して働く人々への尊敬の念を作品に込めています。この作品を仕上げるために彼は何度も習作を描き、そのリトグラフが数多く残っています。彼自身この作品で登場人物たちの『手』の描写に細部まで拘って描いていて “労働をした手” が見事に表現されています。

現在では彼から弟のテオらに宛てた手紙が数多く残っていて、彼の制作過程や生涯、思想、哲学を細かに垣間見ることが出来ますが、彼の創作活動を支えたのは画商でもあった弟テオの存在が大きかったのは有名な話です。

ローヌ川の星月夜

『ローヌ川の星月夜』(1888年・カンヴァス)

こちらは1888年、いわゆるゴッホの全盛期と言われるアルル時代に描かれた作品。ゴッホはこのアルルという地を大変気に入り「この地方の大気の透明さや明るい色調はまるで日本のようだ」と言っています。世は1867年パリ万博後、いわゆる “ジャポネーゼ” が大流行したヨーロッパ。ゴッホも日本への憧れを持つようになり、日本画を買い漁ってその色彩の豊かさの影響を受けています。

そのアルルでゴッホは画家たちの協同組合のような画家たちがお金を出し合って共同生活するという構想を描いていた時期でもあります。その頃のゴッホは創作意欲が凄まじくこの作品以外でも
『アルルの跳ね橋』『日没の種まく人』『ひまわり』『夜のカフェテラス』など今ではゴッホの代名詞、超が付くほどの名画を数多く残しています。

この作品ではゴッホのロマンティストな面が見てとれますが、その反面、絵筆のタッチは非常に荒々しく、ゴッホらしいまるでカンヴァス上で彫刻を彫っているようなタッチです。天然の星の光(おおぐま座北斗七星)と当時の文明の利器と言える人工的なガス灯の光。良く見てみるとこの両方の光がローヌ川の川面にシンクロしているように描かれています。




私はゴッホという画家は他の画家とはまた違った印象を抱いています。
『絵を描く』という実に単純なことですがゴッホの絵には金勘定ではないものを感じますし、何より他人に認められたい、いわゆる現代的に言うと “承認欲求” などと言われますが、ゴッホの絵にはそういったものを私は感じません。本当に絵が好きで、好きだから描いているだけ、とまで感じてしまう無垢な情熱というか、そういったものを感じるのです。

実際には彼自身も他人に認められたいという欲はあったでしょうが、彼の絵にはそれよりも『絵が好きでたまらない』『アイデアが次々と溢れて絵筆を止められない』そんなものを感じます。

情熱をもって事に当たれば技術や技巧は自然と身に付く
好きこそものの上手なれ、なんて言葉がありますがゴッホにはそのようなものを感じます。それがゴッホ然とした彼でしか描けないあの独特なタッチの作品に仕上がっているのでしょうか。

その他の画家たち

今回は以上の4人の大画家たちにスポットを当てて取り上げましたが、ほかにも多くの画家たちの作品から影響を受けました。特に風景画家ロイスダールや日本でも絶大な人気を誇る印象派のモネ、バルビゾン派の画家として知られるミレーなどは個人的に大好きな画家です。

『かささぎ』クロード・モネ

『ハールレムの風景』ヤーコプ・ファン・ロイスダール

しかし1900年以降、より現代に近くなってくると個人的な好みからは少し外れてきます。

超が付くほどの有名どころでは例えばダリであるとかピカソなどは個人的には影響を受けるようなそれほど大きな存在ではありません。もちろん彼らも日本では多くの熱心なファンがいらっしゃるかと思いますし、それこそシュルレアリスムキュビズムとして絵画史に名を残す世界的な存在です。

『記憶の固執』サルバドール・ダリ

『ゲルニカ』パブロ・ピカソ

個人的に絵が難しくて理解するには難解過ぎるという面もあるのですが(つまり私の理解が及んでいない…)、彼らはいわゆる “画家” と言うよりは絵を通しての “表現者” または “哲学者” という意味合いが私には強く感じられ、『画家』というよりは『芸術家』という印象を個人的に持っています。

いつか私にも彼らの絵のすごさを理解できる日が来るのでしょうか?

 

今回の記事は以上になります。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
写真を撮る上で、またはプリント作品を仕上げる上で、なにかご参考になれば幸いです。


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