唐突ですが、
今は大多数の人が当たり前のようにカメラを持ち歩く時代です。いや、カメラなんてわざわざ持ち歩かないし持ってもいないよ、と思われるかもしれませんが、皆さんがお持ちのスマホやタブレットは今や高画質にデジタル写真が残せるカメラでもあります。
しかし、持っているからと言って即写真を日常的に撮っているとは限りません。気になったら小まめに写真を撮る人、後で見返すためにメモ的に写真を撮る人、それこそスマホのカメラ機能をほとんど立ち上げない人、いろいろいます。写真に対する価値観は人それぞれ。写真を撮ることを楽しいと感じる人もいれば、面倒くさいと思う人もいます。
少し目線を変えて、では写真を撮るときとはどんな時でしょうか?
きれいな風景だなと感じたとき、
友人たちとの交流の思い出を残したいとき、
家族で旅行に出かけたとき、
お子さんの運動会や発表会のとき、
路線バスの時刻表をメモしたいとき、
今朝作ったお弁当の記録として。
これも撮る人によってさまざまです。
しかしこれをもっと深堀してみるとどうでしょうか。
なぜきれいと感じた風景を写真に残そうとしましたか?
なぜ家族や友人たちとの思い出を写真として残したいと思いましか?
バスの時刻表をメモ代わりになぜ写真を利用しましたか?
今朝作ったお弁当の記録をなぜ写真で残そうと思いましたか?
この写真を撮るに至った理由ももちろん人それぞれです。
人はなぜその瞬間を写真として残そうとするのでしょうか。
便利だから?それも一理あるでしょう。
後で見返して思い出せるように?それもあります。
SNSで共有して多くの人に見てもらいたいから?今であればそれも当然あるでしょう。
ではまだSNSが無かった頃でも写真として残していましたか?
SNSで共有することが目的であるなら写真として残さなかった人もいるでしょう。
では何で “写真” として残そうとしたのでしょうか?
残す手段は他にもあるはずです。
こんな感じで鎖のように繋げて “写真” というものを改めて考えていくと、本来の写真の意義のようなものに近づいて行けるような気がします。写真は撮影した瞬間を留めて、未来へと残すことができる素晴らしいものです。
皆さんは、なぜ写真を撮るんですか?
当方の(弱小)YouTubeチャンネルには『山と写真のdialogos』というコンテンツがあります。写真文学者 “心象スケッチ” こと大西慧氏と筆者とが対談形式で山や写真についてあれやこれや意見交換をする場として活用していますが、今回の7回目にしてようやくこのコンテンツ立ち上げ当初からの主目的であった大きなテーマ「なぜ我々は写真を撮るのか」について取り上げることができました。
今回はとくに “日常” と “非日常” ということにスポットを当ててみました。
非日常でしか写真を撮らない筆者と、日常的に写真を撮る大西氏。
そもそも日常って? 非日常って何?
自分が日常と感じていることは、他人にとっては非日常かもしれません。
自分が非日常と感じたことは、他人にとってそれは日常かもしれません。
そんな根本的なところまで深堀して話せたらよかったですが、そのあたりの深い話題は今後の課題ということで、もしお時間ありましたら超長尺 (2時間弱) ではありますが、どうぞお聞きいただければ幸いです。画像・映像等のないラジオ形式ですので、ながら視聴または睡眠導入としてもご利用いただければ幸いです。
山と写真のdialogos|TenMa YouTube Channel
山と写真のdialogos#7 写真における日常と非日常 ~なぜ我々は写真を撮るのか~


