2019年11月。
上野の森美術館で開催されている『ゴッホ展』に行ってきました。絵画展は大好きでよく足を運ぶのですが、前回は2018年秋の『フェルメール展』でしたので1年ぶりの絵画展でした。
私は主に山を中心とした自然風景の写真を撮っている者ですが、写真展というものには全くと言っていいほど行きません。私がよく行く北アルプスですと、山小屋には山岳写真家や山小屋の主人やスタッフが撮影した素晴らしい写真が数多く飾られていて、それを拝見できるのでわざわざ下界で写真展に足を運ぶ必要がないです。
それから私は恥ずかしい話、著名な写真家の方々もよく存じ上げないのですが、そのかわり大画家が残した絵画がとても好きで、作品を鑑賞して楽しむと同時に写真を撮る上でとても参考にしています。参考どころか、構図や光の捉え方、テーマ、色彩、コントラストなどは完全に彼らが残した名画からの影響をもろに受けています。
私の敬愛する画家は何人かいますが、情熱の画家フィンセント・ファン・ゴッホもその一人です。
今回の展覧会、有名どころでは『糸杉』や『薔薇』などが観られました。
ゴッホの作品はもちろん素晴らしいわけですが、彼自身の苦悩や歩んだ人生そのものが多くの人々の心を揺さぶります。私も彼の半生が書かれた伝記物や小説を何冊も読みました。
ゴッホというと南仏アルルで描かれた黄色を中心とした色彩豊かな作品群が代名詞となっていますが、私は結構初期の頃の貧しく慎ましい生活を送る農夫たちを描いた、あの暗く重苦しい重厚な作品も好みです。その頃の大傑作『馬鈴薯を食べる人々』のリトグラフを今回鑑賞することができました。
ゴッホ自身が残した作品群のほかに、同じ時期に活躍した才気溢れる画家たちが残した名画も多く鑑賞できるのもこういった一大絵画展の良いところです。もちろん展覧会のポスターにもなるような有名作品も素晴らしいのですが、それまで知らなかった作品により感動することも多いです。
とくに今回はゴッホの初期の師といわれるアントン・マウフェの『雪の中の羊飼いと羊の群れ』や当時ゴッホの作品を高く評価していたヤン・ヘンドリック・ウェイセンブルフの『黄褐色の帆の船』、そしてマリス三兄弟の次男マテイス・マリスの作品群などはとても素晴らしいものでした。
絵画を鑑賞しているとたまに背筋がゾクゾクするような感覚を覚えます。今回の展覧会、並べてある数多くの作品はゴッホをはじめとした大画家たちが描いたものですが、よく考えてみるとその作品は彼らがいま自分が見ているその距離で描いたものです。当たり前ですが。つまり画家と同じ距離で作品を見ているんだ、と改めて思うとゾクゾクしてしまいます。
展覧会に足を運ぶといつも思うのですが、やはり画集やインターネットの画像では決してわからない絵の成り立ち、絵筆の荒々しいタッチなどは絶対に本物を見ないと駄目だということです。その絵はどのような構造で成り立っているのか、作品を『魅せる』とはどういうものか、深く理解するには上辺だけの画像ではまったく駄目です。
今回の展覧会ではゴッホの有名な『テオへの手紙』の一節も数多く紹介されていましたが、写真表現においてもとても参考になる一説がありました。
昨今の高解像の写真画像をモニターで等倍拡大して見るような鑑賞方法はもはや写真鑑賞ではないと常々思っていましたが、作品の適切な鑑賞距離を念頭に入れた作品作りは絵画においても写真においても最重要であると思います。
ゴッホというと精神病を患っていたとか、自らの耳を切ったりとか、最後は自殺したりとか、言ってみれば『狂気』とか『過激』なイメージを持たれている節があります。
でもゴッホは本当は純粋で、勉強熱心で、敬虔で、真面目で。
作風があまりに個性的過ぎてそれが一人歩きしているところがあって、実際には絵を描くときは理路整然とした分析や、計画を綿密に立てて描いていて、精神病の発作があるようなときは絵筆を持たなかったと言われています。
もっとうまく立ち振る舞えば違った人生を送れたかも知れないのに、不器用で、孤独で…。
私は他にレンブラントやフェルメール、モネ、ターナーなどがとても好きで彼らの展覧会が開かれたら見に行っては感動したり影響を受けたりしているのですが、そのなかでもゴッホは私にとって他の画家とは少し見方が違っていて、感動するというよりはその純粋さに目頭が熱くなる感覚に近いです。
今回の『ゴッホ展』は上野では2020年1月中旬まで、その後は兵庫で3月下旬まで開かれています。ぜひ足を運んでみてください。
ゴッホ展公式HP
https://go-go-gogh.jp/