2020年8月 上高地~涸沢~北穂高岳
上高地から北穂高岳へ盛夏の北アルプス撮影山行。緑輝く北アルプス南部の穂高連峰、その北端が誇る国内屈指の大展望地『北穂高岳』。穂高に抱かれる美しき涸沢カール、色彩豊かな山野草、湧きたつガス、そして満天の星空を紡ぐアーカイブ。
後編は北穂高岳から涸沢カールの美しき夜。
- 涸沢カールの美しき清らかな朝
- 急峻なる登山道
- 北穂高山頂
- 夕刻の北穂高岳
- 北穂高に抱かれる夏の夜
- 朝日に輝く槍ヶ岳と穂高連峰
- 再び涸沢へ
- 全てを包み込む涸沢の星空
- 遥か北アルプスに思ふ
前編はこちら
⇒『煌めく刹那の光』盛夏の北穂高岳に抱かれて(前編)
涸沢カールの美しき清らかな朝
美しいモルゲンロートが終わってからようやく朝食を摂ってテントを撤収。もうすでにほとんどの登山者は行動を開始し、テント場でノソノソと動いているのは私くらい。なにせこの日の行動は北穂高岳に登りきるだけ、こんな山行計画を立てるのも私くらいだろう。
「それにしても、なんて贅沢な時間なんだろう…。」
私はこのモルゲンロートが終わって、ゆったりとした清らかな山の朝の時間帯がとても好きで、この貴重な時間を確保するためにこんな計画を立てているのかもしれない。
爽やかな空気の中、石畳を涸沢小屋に向けて歩き出します。涸沢小屋からは奥穂高岳への登山道と別れて、しばらくは枯れた沢筋を登っていきます。
序盤の登山道には山野草がとても多くて、華やかでカラフルな中を歩いていきます。そのなかでも紫色のオヤマノエンドウや鮮やかなピンク色のシモツケソウ、赤い実をつけたまだ青々したナナカマドが目を引きます。
登るにつれ涸沢カールが眼下となり、そこからググッとせり上がる前穂高岳の存在感がとてつもなく大きくて、登りながら何度も何度も振り返ってしまいます。前穂高岳から美しく延びる吊尾根、そしてそれが奥穂高岳の重厚な山容に連なり、見事な景観を見せてくれます。奥穂高岳山荘が立つその稜線が少しずつ少しずつ目線の高さに近づいてきます。
急峻なる登山道
中腹まで登り詰めると長いクサリ場が出てきます。
いよいよここから北穂高岳への急峻で岩々な登山道の始まります。
もう涸沢からかなりの標高を獲得し北穂方面を見上げると目指す小屋もかなり近くに見えて『あともう少しだ…』と初めて登った時は思ったものですが、実はここからがかなり長く感じるところ。山だとすべてのものが下界とは大きさが違って、距離感が掴めないことが往々としてあります。
初めて北穂高岳に登った時はこの急峻な岩山に恐れをなして北穂小屋泊りで、ザックも二回りくらい小さかったですが、今回はテント泊なのでこのクサリ場からかなり苦労しました。
クサリ場が終わればすぐにハシゴもあり、徐々に徐々に高度感を増していきます。それと同時に奥穂高岳や涸沢岳、そして『ゴジラの背』と呼ばれる北穂高岳から連なるギザギザの険しい尾根が目線の高さにさらに近くなってきます。
空は標高3,000mから見上げた時のあの独特な明度の落ちた深い蒼色、時折ガスが周りの山肌を縫うように下から上がってきます。それがまたより一層高度感を演出しているように思われます。
平日なので登山者は疎らでしたが、それでも自然落石もじゅうぶん考えられ、ストックはザックの脇に括り付け、ヘルメットを着用し、岩山の基本姿勢『三点支持』で山に張り付くように登っていきます。
小屋泊の装備と違って荷が重いとやはりかなり辛く、重さもさることながら幅をとるザックにかなり苦労しました。その後も数ヶ所のクサリ場、スラブ状の岩場、ガレ場など、でかいザックにはきつい登りが続きます。
それでも前穂や奥穂、涸沢岳の美しく雄大な山並みが素晴らしくて、その眺望に疲労もかなり軽減されているように感じます。ひとしきり登り詰めると『南稜テラス』と呼ばれるなだらかな北穂高小屋のキャンプ指定地に到達します。
テント場は区画がきちんと整理され、涸沢カールの岩々なテント場よりも地面の状態は良好。テントはまだ張られていなくて、良さそうなところ(たしか⑤番だったか)にザックをデポして、ようやくここで重荷からの解放。ここからさらに上の北穂高岳と北穂高小屋を目指します。
北穂高岳山頂
南稜テラスから軽身で15分ほど岩々な登山道を登りきると、ようやく北穂高岳山頂に到達します。
何と言ってもやはりこの山頂は大キレットを挟んで南岳から尾根伝いに見える槍ヶ岳の眺望が最高に美しい展望台。そして滝谷の険しい岩峰群や雄大な奥穂高岳、前穂高岳、常念山脈と本当に見事な展望がここまで頑張って登ってきた登山者への最高のご褒美となります。
しかし残念ながら山頂にたどり着いた時には槍ヶ岳方面はガスガスで、その美しい絶景を目にすることは出来ませんでした。
北穂高小屋とテント場
すぐに山頂直下の北穂高小屋で空腹を満たし、小屋の絶景テラスでコーヒーを頂く。とにかくこのコーヒー『北穂ブレンド』こそ、お金で買えない最高峰の贅沢なコーヒーと言えるでしょう。
このご時世では宿泊客はかなり少ないようで、平日ということもあり小屋は閑散としているようでした。テント受付の際に伺いましたが、テント指定地である南稜テラスのテント場は最盛期でもテント場がいっぱいになることは稀のようで、穂高連峰界隈では意外と穴場なのかもしれません。
しかし実際に利用した感想は、北穂高に宿泊するなら小屋のほうが断然良いということ。なにせテント泊だと涸沢からのあの急登をテントを担いで登らなければならないのはもちろん、肝心のテント場には水場も無ければトイレもない。さらに小屋まで短いとは言えがっつりとした岩々の登山道。よくあるクロックスなどのサンダルでちょっと小屋まで買い出し、というわけにはいきません。どちらかというとテント場というより『公認のビパーク』に近い感じ。
それにテント場からは常念山脈や前穂高岳はきれいに眺められ絶景のテント場と言えますが、肝心の槍ヶ岳が見えません。小屋泊なら小屋のすぐ上が山頂ですし、もっと言うと小屋の中から槍ヶ岳が眺められます。私は自由度や利用料金の面からテント泊派の人間ですが、実際にテン泊してみてここ北穂高岳に関しては小屋泊派です。意外と “穴場感” があるのはそういうことも関係しているのかもしれません。
もちろん、より自然を感じられるのは間違いなくテント泊ですが。
北穂高小屋テントサイト『南稜テラス』概要
・標高3,000mの絶景テント場
・利用料金は1,000円/人(トイレ料金含む)
・受付は北穂高小屋
・基本的には受付を済ませてからテントを張る
・トイレは小屋のトイレを利用(このような小屋から離れたテン場は携帯トイレが有効)
・水は小屋で200円/Lで販売
・しっかりと数字で区画され地面は涸沢よりも張りやすく、平らなサイトが多い
・稜線直下のため風は強い
詳しくは北穂高小屋HPをご参照ください ↓
北穂高小屋|いちばん高いところにある山小屋
夕刻の北穂高岳
小屋で用事を済ませた後はテントサイトまで戻りようやく幕を張り始めましたが、なんと先客は千葉から来られたという縦走中の同年代の男性の方のみ。小屋や山頂でかなりの時間が経過していたこともあり、疲れた身体を小一時間ほど休めたあと、再び北穂高岳山頂へ。
昨日もそうでしたが、荷が重くて行程がいつも押し気味で、なんだか山の写真を撮っていると時間に追われているような感覚を覚え、本当に山の空気を楽しんでいるのか疑問に思ってしまうことが最近特に多いように思っています。
この日も午後はガスガスで、それが夕刻まで続き、果たして美しい夕景を拝めるのか分かりませんでした。しかし山岳写真を撮っている者の性なのか、ダメならダメなりに自分の目で見て確認しないと気が済まないようになってしまいました。以前にやはりガスガスの夕刻で、アーベントロートは撮れないと諦めてテントでふて寝した日があって、実はその後ガスが晴れて美しい夕景になったことがあって、それ以来最後まで自分の目で確認しないと気が済まない性格になってしまった…。
テント泊は小屋泊に比べて自然を満喫できる、自然により近い素晴らしいものですが、最近全然テント泊を楽しんでいないように感じます。
夕刻は私と同じように山頂で夕景を撮ろうと小屋から上がってきた一年程前から山岳写真を撮られている若い方と一緒に撮影。ガスガスで綺麗に槍ヶ岳が望めたわけではありませんでしたが、それはそれで美しい風景であり、その日に山から与えられた風景を写真に収めました。
山岳写真考
前編でも書きましたが私は『山岳写真は狙って撮るものではない』と最近になって思うようになりました。確かに槍ヶ岳が綺麗に聳え、大キレットにガスが滝のように流れ込み、そこに夕日が当たって真っ赤に染まる、そんなシーンを撮影出来たら最高でしょう。しかし残念ながら山岳写真はスタジオでの物撮りのように完全に自分の意志で被写体をコントロールすることは出来ません。
山岳写真はその日、その瞬間、そこで出会った風景を写真に収めることしかできません。そこで出会った情景が美しいかどうかが問題ではなく、その情景に出会えたのはどんな情景であれ奇跡的な出会いのはず。私にできるのはそれを、その瞬間を切り取るのみ…、そう思うようになりました。
もちろん日程に制限を設けず何日も粘れば自分の思い描いた情景に近いものが撮れるかもしれません。でもその景色がどうであれ、苦しい思いをして、情熱をもってそこまで歩いてきた者にはどんな景色も特別な景色であるはず。山岳写真とはそういうものだと、ようやく最近感じるようになりました。
北穂高に抱かれる夏の夜
夕刻の撮影を終え、急激に暗くなり始めた登山道を南稜テラスのテント場へ下っていきます。もう周囲はガスガスで、到底夜の星空は期待できそうに無いと思われました。しかしこれも山で星景写真を撮っている者の性なのか、もはやテント泊で朝までぐっすり眠れる身体ではなくなってしまって、“目覚まし” をセットしなくてもぬくぬくとシュラフから起きだしてテントのジッパーを開けて夜空を見上げる癖がついてしまいました。
山の天気は変わりやすいと言われますが、あれだけガスガスだったのに見上げれば煌びやかな美しい星空。時刻は午前2時…。
テントの傍で北穂高岳を構図に入れて星空撮影してもよかったですが、せっかくここまでテントを担ぎ上げたのだから北穂高岳山頂にて撮ろうと準備し、ヘッデンを頼りに再び山頂へ。深夜の北穂高岳山頂は時折風が強く吹いてはいましたがそれほど寒くもなく、誰もいない真っ暗な山頂で美しい星を眺められました。かつての深夜の黒部五郎カールの時とは違って山頂直下がすぐに山小屋なので恐怖心もなく撮影に集中できました。
満天の星空の下には雄大な穂高連峰や槍ヶ岳、そして松本市でしょうか、それとも岡谷市でしょうか、美しい夜景も見られ本当に贅沢な、まさにここでしか見ることが出来ない素晴らしい情景に出会いました。それこそ夢中になっての撮影ですが、一通り撮ってしまうとけっこう手持無沙汰となってしまいます。しかしまたわざわざ暗い中をテントまで戻るのも面倒で、どうせ日の出前にはまた山頂で撮影したかったので、このまま山頂で夜明けまで待つことにしました。
それにしても、山頂で寝っ転がって見たこの夜空はきっと一生忘れることができない情景だろう…。
朝日に輝く槍ヶ岳と穂高連峰
美しい夜空は次第に東の空からほのかに赤みがかって何とも表現できないようなグラデーションを造り出していました。夜明けのマジックアワー独特のグラデーションからシームレスに夜空に繋がっているような、まさに夜空と夜明けの空の境界線、いや境界時間…。
少しずつ、少しずつ白んでいく空。
『まもなく新しい一日が始まる…』
この圧倒的な事実を本当の意味で肌で感じた北穂山頂。
ガスガスだった前日の夕刻の槍ヶ岳をともに撮影した若き山岳写真家の方も小屋から上がってきて、本当に短い間、茜色に染まる美しい時間、撮影を楽しんだ。
朝日に輝く槍ヶ岳と穂高連峰。
本当に美しくて、雄大で、清らかで…。
刻々と変わる光加減…、同じ見え方は一瞬たりとも無いとさえ思える美しく刹那的な情景。
これこそが私が撮りたかった画、同じ情景はもう二度と現われることは無い。北アルプスへの憧れ、それが幾度登っても消えないのはこの『二度と出会えない瞬間瞬間の美しい情景が永遠と続く』からなんだ…。
はっきりとそう思えた、早朝の美しい北穂高岳での貴重な朝となりました。
再び涸沢へ
今回の撮影山行、実は予備日を使ってもう一日『南稜テラス』に居てもよい計画でした。そうそう来れない北穂高、そこで朝焼けも夕焼けも、そして星空も撮れないということも天候によってはじゅうぶん想定されますので、私は撮影山行のときは必ず予備日を設けています。
しかし今回は美しい夕暮れの撮影こそできませんでしたが、撮れ高にも比較的満足しましたので下山することとしました。北穂での夕暮れの美しい風景はまた今度の機会、またここに戻ってくる大きな理由、目標にもなります。
多くの登山者はここから涸沢岳を経て奥穂へ向かったり、ザイテングラードを下って涸沢へ向かったり、それこそ大キレットを越えて槍ヶ岳を目指すルートを歩かれますが、私は何の迷いもなく涸沢へピストン。今回の装備を背負ってあの険しい稜線を歩く気には到底なれませんし、一気に上高地まで下りる自信もありません。なので初日の夜に撮れなかった涸沢での星空撮影の機会を窺いたかったこともあり、そして何よりもっとゆったりと贅沢に北アを楽しみたいということもあり、この日は涸沢まで下りるだけという行程としました。
心持に余裕が持てると北穂からの険しい岩山の下山もより安全に遂行することができるし、登りでは気付かなかった風景にも出会えたりします。雄大なる穂高連峰を眺めながらのんびりと涸沢まで戻り、初日とは打って変わって賑やかになったキャンプ地で再び幕を広げました。
全てを包み込む涸沢の星空
今回の撮影山行においてもっともゆったりできたこの日、涸沢まで戻ってくると『滑落』の危険性からも解放され、疲れがどっと出てきて三度目のガスガスの夕刻ももうどこか上の空。どうも季節的なものなのか、地形的なものなのか、夕方になるにつれガスに巻かれるのはもはや常となっているようで、小屋の方に伺うと「ここ何日かはずっとこんな状態」だそうだ。
ちょうど身体を休めたかったのもあるので、早い夕食後はそのままシュラフに包まってしまった。しかし案の定 “目覚まし” も無しに深夜1時にぬくぬくと起きだし、夜空を見上げると昨晩よりもさらにクリアで雲一つない美しいまさに満天(満点)の星空。
もう何年も北アルプスで夜空を撮影していますが、ここまでガスも雲もなくクリアな夜空はそう多くはありません。すぐにテントから這い上がって場所を変えながら撮影しつつ、この美しい星空を堪能しました。
季節はすでに夏も終わろうとするこの時期。涸沢岳と北穂高岳の稜線に沈みゆくハクチョウ座。漆黒の天頂にはカシオペアやアンドロメダ銀河。そう、どんなに暑くても、どんなに夏山を謳歌しようとも星空はもう秋の星座たち。季節は着々と進んでいる。
この撮影山行の最終日。
穂高連峰、丑三つ時の涸沢カール。
最後の最後に本当に美しい情景をプレゼントされたように思えました。まさに山の神様からのいつまでも心に残るギフト…。
遥か北アルプスに思ふ
振り返ってみれば行動中はガスこそ濃い時間が多かったですが天気も良く、心配された雨も夜にぱらっと降った程度の最高の撮影山行となりました。
感染症の影響もあって今夏はいつもの年とは少し違って、そもそも北アルプスを歩けることさえままならないと思われましたが、奇跡的にも穂高連峰を大いに堪能することが出来ました。
そう、すべての出会いが本当に奇跡的なもの、それを強く感じた撮影山行でした。
予定した日程の天気が悪ければそもそも行けなかったかもしれないわけだし、その日、その天候、その行程でなければ見れなかった景色や出会えなかった人たち。すべてが偶然であり、そして必然でもある山が与えてくれた奇跡。
今年は北アの多くのテント場では “要予約” というところもあって、なかなか予定を立てづらい年。幸いにも今回利用させていただいた涸沢や北穂のテント場は予約の必要がなかったことからこのエリアにしましたが、奇しくもそれがなんとなく穂高に呼ばれていたようにも思えます。
来年以降、轍から外れてしまったような世の中が正常を取り戻し、再びなんの気兼ねもなく平穏に山を歩けるよう願ってペンを置くことにしよう。
今年歩けなかった、撮れなかった山にきっとまた出会えるはず…。