2020年1月、赤城山。駒ケ岳~大タルミ~黒檜山へ周回ルート。
美しく煌く霧氷と赤城ブルーの青空を求めて、冬の赤城山の人気ルートを駒ケ岳からの周回山行。蒼と白銀が織り成すアーカイブ。
(目次)
- 赤城山の歴史
- 上毛三山
- 私にとっての赤城山
- 駒ケ岳へ
- ガスよ、消えろ
- 霧氷回廊
- 黒檜山
- 振り返って
赤城山の歴史
赤城山はご存知のとおり日本百名山に選定されています。百名山の選定基準は山岳随筆集『日本百名山』の著者深田久弥氏によれば、著者本人が踏破した中から『品格・歴史・個性』を兼ね備えた山ということなのだそうですが、赤城山は伝承や伝説も含めて特にこの“歴史”という部分に関しては特筆すべきものがあります。
まず赤城山を語る上で重要な大きな二つの歴史的要素を取り上げます。
赤城山の神
赤城山の神様の伝説は各地に残されており、現在では色々な説があります。基本的にはあの日光二荒山の神(つまり男体山?)と、かの戦場ヶ原で戦ったというもの。
赤城山の神が勝って二荒山の神が流した血で山が赤く染まったとか、逆に二荒山の神が勝って赤城山の神が流した血で山が赤く染まったということで『赤き山』が『赤城山』となり、それが山名の由来となっています。
赤城山の北部に位置する老神温泉には赤城山の神と二荒山の神がそれぞれ大蛇と大ムカデに化身し、その戦場ヶ原での戦いにて赤城山の神が負けた後に老神の温泉で傷を癒し、その後二荒山の神を打ち負かして追い返したという伝説が残っています。
どちらにしても“神々の戦い”という多神教の国ならではの伝説が数多く残る日本。そのあたりも頭の片隅において山を歩くのも面白いですね。
国定忠治
赤城山といったらやはり多くの方は江戸時代後期の上州の侠客、国定忠治を思い浮かべるのではないでしょうか。明治~昭和初期にかけて『天保の大飢饉において農民を助けた侠客』として講談や大衆演劇、新国劇の題材として人気を博しました。
国定忠治の一節『赤城の山も今宵限りか』はあまりにも有名。
実際には多くの罪状、特に関所破りを行なったため最後は磔の刑となりますが、演目などでは弱きを助け強きを挫く義理堅い任侠として描かれています。
そもそも国定忠治の“国定”とは上野国佐位郡国定村(現在の群馬県伊勢崎市国定町)のことで、その赤城山麓の村に生まれそこを拠点に活動。なので赤城山と国定忠治は切っても切れない関係といえるのです。
上毛三山
赤城山は日本百名山と同時に『上毛三山』でもあります。上毛三山とは同じ群馬県内の赤城山・榛名山・妙義山の三山の総称で“上毛”は『上毛野』の略称で旧上野国(現在の群馬県)のこと。
那須火山帯に属し、赤城山や榛名山は火山の象徴でもあるカルデラ湖を有します。赤城山には大沼・小沼がそのカルデラ湖であり、厳冬期には大沼でのワカサギ釣りが有名ですが、最近は暖冬気味でなかなか湖が凍らない年も多いようです。
上毛三山は群馬県の市街地からも綺麗に眺められ、とても馴染みのある山々です。
実はこの三山の共通点として、それぞれの山の名称はその山域の総称であり、赤城山や榛名山、妙義山という名前の山は存在しません。最高峰(主峰)はそれぞれ黒檜山、掃部ヶ岳、そして相馬岳となります。
私にとっての赤城山
赤城山に初めて登ったのは山を始めて数年経った頃の無雪期でした。なにしろ赤城山は日本百名山ですし、上毛三山ですし、やっぱり一回は登っておきたい山でした。
もちろん前述した伝説や歴史を踏まえれば『名山』に相応しいものでしたが、登ってみた赤城山の最初の印象は…、
『展望こそ良いがちょっと“地味な山”』
というものでした。
今なら歴史を踏まえながら木々や草花の植生を楽しんだり、野鳥を楽しんだりしながら登りますが、山登りを始めたばかりの頃は北アルプスのようなド派手な展望ばかりに目がいってしまいがちで、正直言ってその時はそれほど楽しめませんでした。
しかしそれがどうでしょう。無雪期だけでなく雪山も登るようになってまもなく、比較的雪山初心者でも登りやすい冬の赤城山に初めて登ってから印象が一変。
赤城山は透明度の高い青い空に映える猛烈な“霧氷の山”、きらきらと輝くような冬山と化していたのです。
それからというものの、私にとって『冬の赤城山』は毎年鉄板の山となり、多いときはシーズンに何回も霧氷を見に行くくらい通う山になりました。
冬山などで過冷却にある霧(水蒸気)が木や枝に凍結付着した白い氷。同じ氷でも単に空から降った(上空で凍った)雪が木や枝に積もるのではなく地上にて凍るところが大きな違いで、まさに木々に花が咲いたような状態でとても美しい現象。赤城山は地形的に霧氷が形成されやすい条件を持つ。
駒ケ岳へ
今回のルートはおのこ駐車場を起点に駒ケ岳~大タルミ~黒檜山~黒檜山登山口と周回するものですが、一般的には逆から、つまり先に黒檜山から廻るルートのほうが多く歩かれています。
登山開始時は風が強く上空はゴーゴーと轟き、木々は揺れ、気温も低く、肝心の黒檜山にはガスがかかっていました。普通ならテンションが上がらないところですが、低温とガスは霧氷の形成にはかえって好都合で、時間とともに晴れ渡ることに期待しておのこ駐車場から道路を挟んですぐの駒ケ岳登山口から入山。
夜明け30分前くらいからの歩き始めなので登山道はガチガチに凍っていて、スリップに注意しながらの登りになりました。この稜線までのきつい登り、最後のほうは鉄階段があるためアイゼンは着けずに手を使いながらの慎重な登りでした。
稜線に上がってしまえば昇ったばかりの朝日に迎えられ、美しい控えめな霧氷とともに寒さからも少しは解放されます。主稜線に短時間で上がれるのがこのルートの良いところです。
そこからは朝日に照らされた稜線歩きの始まりとなります。駒ケ岳へは緩やかな登りですが、朝日の暖かさを感じながら、気持ちよい雪の踏み心地や、美しい霧氷を堪能しながら登っていきました。
ガスよ、消えろ
駒ケ岳からはいったん大タルミと呼ばれるコル(鞍部)へ下ることになります。今回のコースはもう何回も歩いているコースですが、私にとって本コースのハイライトの一つはこの大タルミ。そこから見上げる黒檜山や駒ケ岳の霧氷の木々がびっしりと立つ山肌はまさに圧巻の一言。
この日も歩いてきた登山道を振り返ると逆光に浮かび上がる駒ケ岳の山肌の霧氷の木々が輝いていました。時折ガスが通ったり、強風で揺れる木々から霧氷が雪のように降ってきて撮影には難儀しましたが(機材が雪まみれ…)、あらためて霧氷の木々が輝く瞬間に出会えて心が満たされていきました。
しかし残念ながらこれから向かう黒檜山は濃厚なガスがいまだかかったままで全く山肌は見えませんでした。
『ここからの霧氷を纏った黒檜山を見たかった…』
時間的にはもうガスが引き始めても良い頃合と思っていましたし、過去も赤城山ではそのような展開の山行が多かったのですが、この日はなかなか晴れてくれませんでした。
とりあえずは大タルミで霧氷の撮影。真っ白な何も見えないような黒檜山に登ってもしょうがないし、もう歩いてきた登山道を戻ろうか、とすこし諦め気味のなかシャッターを切り続けます。
どのくらい時間が経ったでしょうか。
あれだけ濃かった黒檜山にかかったガスが少しづつ強風とともにようやく晴れ始めました。
『これは、ついに…』
そこからは一気に霧氷纏った黒檜山が姿を現し、赤城ブルーとも言える蒼く澄み切った空に美しい山肌が映えていました。
『これだから山はやめられないんだ…』
あとは赤城山最高の霧氷回廊に足を向けるだけ…。
ザックからアイゼンを取り出しあの美しい急登へ、いざ。
霧氷回廊
私はこの大タルミから黒檜山までの登りの区間を『霧氷回廊』と呼んでいます。初めて冬の赤城山に登ったとき、最も感動したのは山頂に到達したことではなく、展望台から見えた美しい眺望でもなく、なによりもこの区間の霧氷の圧倒的な美しさでした。全く足が進まず、見上げてはカメラを向け、また歩いては見上げてカメラを向けてばかりで。
赤城山の最高峰、黒檜山へ向かわんと上がるテンションと、霧氷の美しさに上がるテンションが『時』を忘れさせ、ただただ美しい『空間』にのめり込んでしまいます。
太陽にガスがかかって辺りがたびたび寒々しい景色に変わったり、そのガスが抜けて再び太陽が木々を照らすと再び輝きだしたり。
やはり『光』というものはすべての見え方を変えてしまうほどの大きな存在であると思えてきます。
長いようで短い霧氷回廊は山頂間近に建つ黒檜大神石碑と鳥居へと続き、筑波山や関東平野を一望できる展望台を挟んで、黒檜山頂へと到達します。
黒檜山
黒檜山頂と展望台
黒檜山頂は標高1,828m。標高はそれほど高くはありませんが独立峰らしく風が強く、この日はそんなに長居はしませんでした。
山頂からすこし北側へ稜線伝いに進むと北方の眺望が素晴らしい展望台に出ます。天気が良ければ上州武尊山や谷川連峰の美しい山並み、真っ白に雪化粧した浅間山、そして広大な平野や街並みが素晴らしいですが、残念ながらこの日は冬型の気圧配置のため北側の眺望は良好とは言えませんでした。
しばし水分補給と栄養補給をしながらの小休止の後、下山することにしました。
下山時こそ慎重に
駒ケ岳や大タルミ付近のものより一層発達した霧氷群に彩られた登山道を下っていきますが、登山事故というものはほとんどが下山時に起こるものなので慎重に歩いていきます。
よほどのアスリートでもなければここまで登ってきた身体、特に足はかなり疲弊しているはずです。そして下山というものは身体と背負っている荷物の重量すべての負荷が足に集中します。
ましてや冬山、普段履きなれないアイゼンを着けています。この日は諸処の理由から12本爪のアイゼンを選択していましたので、爪の長さには特に注意しなければなりません。しかし注意していたにも関わらず爪が足元の何かに引っかかってしまい、バランスを崩してしまいました。
幸い手を突いて事なきを得ましたが、これがナイフリッジの稜線だったらと肝を冷やしました。まぁそもそもナイフリッジになるようなところは爪が引っかかるようなものはありませんし、今回の下山時は岩や木の根っこに氷がミックスしている中低山ならではのテクニカルな部分もありましたが、もっと一歩一歩慎重に歩くべきでした。
振り返って
今回の赤城山行が2020年の最初の山となりましたが、いくつか失敗はあったものの無事に怪我も無く終えたことがまず良かったと思います。
天候に振り回され一時はどうなるかと思いましたが終わってみれば最高の赤城山の霧氷を堪能でき、2020年の良いスタートが切れたと思っていますが、これも赤城山の神様のおかげでしょうか。
年々山に行く回数は減っていますが、その分一回一回の山行の中身を高めればよいことであって、ようは回数よりも内容重視。若い頃のような薄っぺらい山行ではなく、今後は二度と出会えないであろう最高の瞬間をじっくり味わうような私なりの山行を見つけたい、改めてそう思える冬の赤城山行となりました。