新穂高~双六岳~鷲羽岳~水晶岳~赤牛岳~平ノ渡~五色ヶ原~室堂
2026年夏、新穂高温泉登山口から立山室堂を結ぶ50kmを越える憧れだった北アルプス縦走路をゆく。天候不順に見舞われながらも多くの方々に出会い、そして助けられ、自身未踏の赤牛岳や読売新道、平ノ渡し船を経て天空の地、室堂へ。すべてが初めてづくしの5泊6日、総距離53kmにわたる長期北アルプス縦断山行記。
後編は山行3日目から最終日の室堂まで。
- Day3 三俣山荘テント場~水晶小屋
- Day4 水晶小屋~赤牛岳~読売新道~奥黒部ヒュッテ
- Day5 奥黒部ヒュッテ~平ノ渡し~五色ヶ原
- Day6 五色ヶ原~室堂
- 本山行の撮影について
- おまけ(富山観光とグルメ、テント破損)
※本サイトはAmazonのアソシエイトとして適格販売による収入を得ています。
Day3 三俣山荘テント場~水晶小屋
自分で計画しておいて何なんだが、この日はなんとも拍子抜けな行程である。この2日目の幕営地であった『三俣山荘』のテント場から『鷲羽岳』と『ワリモ岳』を越えて、『水晶小屋』まで歩くだけである。こんな余裕過ぎる行程を組むのは私くらいだろうか。
ただ前日、山荘にあったタブレットで天気図を確認すると、どうもこの悪天傾向は低気圧が居座ってなかなか夏の高気圧が南から上がってこられないからのようで、残念ながらこの日も昼頃から早くも天気が崩れる予報であった。だから早めに『水晶小屋』に行ってしまいたかったら、私の亀足を考慮するとかえってこの行程は都合が良かった。
ガスガスでテント場の周辺は真っ白。なにも見えない。
ただテントの撤収をしているとガスの切れ目からときおり目のまえに巨大な『鷲羽岳』の山肌も姿を現し始めている。それにしても雨天の中でテントを撤収することにならなくて助かった。このままガスが晴れてくれるのかと思いきや、すぐにまたあたりがガスに包まれる、この日もまたそんな天候である。

朝はすっきりしないガスの多い天候

足下に咲くハクサンイチゲ
撤収作業を終えて少し遅めの 7:00過ぎに行動を開始し、『三俣山荘』の正面を横切って『鷲羽岳』にとりついた。時折ガスの切れ目から周辺の山並みを楽しみつつ『鷲羽岳』の急坂を登った。登れば登るほどに風がつよい。この時期の『鷲羽岳』としては登山者はかなり少なかった。
快晴ならば日照りで暑くて仕方がないと言い、
ガスならば景色が見えないと嘆き、
雨ならば寒いと文句を言い、
人間とはなんと脆く弱い生きものなんだろうと思う。
山に来ると自分の弱さや小ささを思い知らされる。
自分はその “弱さ” を確認するために山に来ているのかもしれない、そんなことを考えながら急坂をひとりで黙々と登った。
8:30にガスで何も見えない鷲羽岳山頂に到達。
そのまま『ワリモ岳』に向けて進んだ。

『ワリモ岳』への尾根をゆく
その山頂を越えたあたりだろうか、ようやく強い風のおかげかガスも引いていき、遠く『槍ヶ岳』も確認することができた。こんな天候だからと稜線ではなく黒部源流の方へ下りていき、再び登り返すコースを選択しようかと思ったが、稜線をたどるこのコースを選んで良かった。ただ風は依然として強く、薄着ではわずかながらの寒さを感じた。

ガスの晴れ間から『鷲羽岳』を振り返る
『ワリモ岳』を越え、岩苔乗越辺りまで来ると再びあたりはガスにのみ込まれ、一面真っ白な世界に包まれた。先ほどまできれいに見えていた『水晶岳』も『鷲羽岳』も、まったく見えなくなってしまった。3日目の宿泊先である『水晶小屋』への最後の登り10分のところから次第に小雨がぱらついてきて、ちょうど小屋の玄関に入ったころに堰を切ったかのようにワッと大粒な雨が降り出し始めた。

『水晶岳』への雄大な稜線が美しい
小屋に到着したのは昼前も昼前、10:30である。
本日の行程はこれにて終了。
こんな天気では小屋の周辺を散策するような気にも到底なれず、このままずっと小屋に籠るつもりである。

水晶小屋への登り

稜線に建つ水晶小屋
その対応をされた小屋のスタッフの方からも「ちょうど良かったですね」、とねぎらいの言葉を頂いた。たまたまなのか、それとも小屋のほうでそのような調整をあえてしていただいたのか、私の部屋割りのお隣となった男性ハイカーも明日から私と同じ行程のようで、『赤牛岳』から『読売新道』を下る予定とのこと。彼のお話によると本来なら本日の朝に小屋を発つ予定だったらしいが、この天候では小屋を出る気になれず急遽予定を変更して1日伸ばしたとのこと。だからこの天候も含めて彼とこの小屋で出会ったのは本当に偶然である。

部屋割りは “つ”
実は前編でも述べたが、私にとって明日の『奥黒部ヒュッテ』まで歩く4日目の行程が本山行のひとつの正念場でもあり、そして不安でもあった。しかし千葉から来られていたこの気さくな男性ハイカーEさんと明日からご一緒しようということになって気分がいくぶん和らいだ。この方は平ノ渡し以降はそのまま黒部ダムへと向かう行程であったので、そこまでしばらく即席のパーティを組むことになったわけだ。
『水晶小屋』は大部屋に布団が並べてあるだけの、シンプルで昔ながらの “山小屋然” とした小屋である。大きな山荘のように個室等は用意されていないが、某コロナ以前と比べてギューギュー詰めということはなく、各人に快適なスペースが割り与えられていた。もう昔の夏の最盛期のように “畳一枚分のスペースに二人や三人” ということはなく快適に過ごせる。そのぶん、小屋の運営は逼迫するであろうから、当然その補填は我々利用者で行うべきである。
いったん1Fの小さな食堂に下りて、昼食としてこの小屋名物である大きな餅がふたつも入った『力汁』と『季節のおでん』をいただいた。ボリューム満点で、寒さを感じる身体に温かさが染みわたるようであった。食後、ふたたび割り当てられた部屋に戻り、小屋の窓から外を時折眺めるも、残念ながら日が暮れるまで山々を覆っている白いガスが消えることはなかった。雨足も弱くなったり強くなったり。水晶岳登山に来られていた熟練ご夫婦もこの天気を見て早々に諦めて小屋に引き上げて来られた。本山行はスカっと気持ちよく晴れることがない山行であった。
ただこういう時は小屋でご一緒する方々と山の話をするのが実に楽しい。テントではどうしても離れているのでこうはいかない。時間を忘れて周りの方々と談笑しているうちに、1巡目の17:00の夕食の時間となった。水晶小屋の夕食は本格的なスパイスを使った南インドカレーで、とてもおいしかった。なにより炊き立てのご飯がおいしい。テントで食べるドライフードとは雲泥の差である。小屋の方曰く、以前は通常のカレーを出されていたらしいが、いろいろな縁があったようで最近ではこのような本格的なスパイスカレーを出しているとのことだ。
水がたいへん貴重な稜線に建つ小屋だけあって、下膳の際にあらかじめ用意されてある紙ナプキンを使って各自で食器類を拭きあげるのがこの小屋の独特の習わしとのことで、このあたりも各小屋の特徴が出ていて興味深い。

夕食はスパイスの効いた本格カレー
そして何と言ってもこのこじんまりとした素朴な小屋の雰囲気が素晴らしい。決して広くはない小屋であるが、スタッフの方々は温かく迎えてくれるし、食事も質素ながら美味で、素朴だが山小屋の大きさと温かさを感じることができた。初日に宿泊した『鏡平山荘』のような広くて大きな山荘も良いが、個人的にはこのような小さくて素朴な小屋のほうが好みだ。この素朴な雰囲気は奥剱にある『池ノ平小屋』に似ているかもしれない。
2巡目の夕食の後は、消灯までの1時間ほどの短い間であるが “宵の特別メニュー” と称して談話時間が設けられていた。そのときに頂いた『黒糖ホットミルク』はとても美味で、それを飲みながら男女4人で消灯時間ちかくまで楽しい時間を過ごすことができた。
20時の消灯後は明日の未知のコースに思いを馳せながらなかなか寝付けなかった。
Day4 水晶小屋~赤牛岳~読売新道~奥黒部ヒュッテ
ついにこの日がやってきた。
憧れともいうべき自身未踏の『赤牛岳』と『読売新道』をやれる。
5:00から1巡目の朝食で、孤高の稜線に建つ山小屋らしく日持ちのする発酵させた質素なメニューをいただき、宿泊予約時に予め注文しておいたお弁当を受け取ってから荷物の準備をして、千葉のEさんとともにガスガスの真っ白な戸外に出たのは 6:00である。そう、明けたこの日もいまだガスで周辺は真っ白で何も見えない。ただ幸いなことに雨は降っていなかった。

日持ちのする発酵食品中心の、質素だが温かく美味しい朝食。
標準的なコースタイムはこの『水晶小屋』から『奥黒部ヒュッテ』まで実に8時間半である。しかも途中に水場や避難小屋すら無い。これが今の今までなかなか私がこの山行に踏み出せなかった大きな理由である。しかしもうここまで来たので覚悟を決めてやるしかない。
千葉のEさんとともにまずは最初のピークである『水晶岳(南峰)』へ向けて、濃いガスをかき分けるように歩き出した。Eさんも私も『赤牛岳』や『読売新道』は初めて同士であったので、ゆっくり歩きましょうと声を掛け合った。不安も多かったが即席ではあるがソロ山行ではないことが頼もしいと思えた。

翌朝 6:00、水晶岳に向けて歩き出す。
願わくば雄大なこの稜線美をながめながら歩きたかったが、こればかりは仕方がない。そのかわり日照りによる厳しい暑さに晒されることもないとも言える。
『水晶岳』の山頂直下の岩場は昨日からの雨で濡れてスリッピーであったので慎重に歩を進めた。『水晶岳(黒岳)』の南峰には 6:15過ぎに到達。この水晶岳の南峰が本山行の最高峰で標高2,986mとなる。そのまま北峰(標高2,977m)にも到達。

辺りは真っ白だ。
ちなみに『水晶岳』はその名の如く水晶の原石も含まれて形成されているらしく、実際に『水晶岳』で採取された原石が額装され『水晶小屋』に壁に飾られていた。
『水晶岳(北峰)』からはしばらく岩稜帯を経た後に『温泉沢ノ頭』へと尾根が続く。この温泉沢ノ頭を分岐し、下って行けばあの有名な秘境の湯『高天ヶ原』へと繋がる。我々はそのまま尾根伝いに稜線を下って行ったが、時折ガスが引いてくれて美しい雄大な稜線を一部眺めることができた。

赤牛岳方面に向けて

『温泉沢ノ頭』は赤牛岳方面と高天原方面の分岐点
前方のこれから進む稜線上はガスに覆われ、目標たる『赤牛岳』は姿を現さなかった。途中の鞍部の休憩適地にて一枚上着を脱ぎ、身軽になって再び歩き出した。

『赤牛岳』への長大な稜線
『温泉沢ノ頭』から約2時間、『水晶小屋』を出発して約3時間半、ようやく未踏であった『赤牛岳』に登頂することができた。辺りは依然としてガスガスで眺望はまったく得られなかったが、念願であった北アルプスの最奥に位置する名峰に立つことができたことを素直に喜んだ。
このコースは熟練者向けのコースと言われるだけのことがあってか、他のコースと比較して行き合う登山者も異常なほどに少ない。この日も結局ほんの数グループの登山者にしかお会いすることはなかった。

雲間から東側の裏銀座の山並みが雄大に広がる

ガスを背負って

念願の赤牛岳山頂
山頂 (赤牛岳は標高2,864m) にて小休止がてら小屋で頂いたお弁当(おにぎり3個とチキンナゲット)を平らげたのち、ガレガレで高度感のある赤牛岳北部の岩場をこなしていよいよ長大なる『読売新道』へと進んでいった。
ここから4日目の幕営地である『奥黒部ヒュッテ』までさらに4時間半も悪路を下り続けることになる。とくに開けた稜線のあとの樹林帯がとてつもなく長い。しかもここ数日の天候を反映してか登山道は泥濘、水たまりが多く、そのほか入り組んだ木の根、ヤセ尾根、ロープ、梯子と、よくもまァこんな深い森に登山道を開いたものだと尊敬の念が沸き上がるほどのアスレチックな登山道がつづく。さすが噂に聞きし『読売新道』である。登山地図でコースタイムや等高線を眺めているだけでは決してわからない厳しさを感じた。

樹林帯に入る手前では眼下に黒部湖が見えはじめた。

3/8

急な岩場にはロープが吊るされている。
標高が下がるにつれてガスの下に抜けたのか、登山道に日差しが戻ってきたが、蒸せるようなあの“モワ”っとした樹林帯の暑さが足もとから上がってくる。ここのところの悪天続きのためスリッピーなコンディションで、いつも以上に慎重さを要求され、精神的にも肉体的にもとても厳しい下りが果てしなくつづく。

ところどころ崩落気味で慎重に下る。

これでもかと悪路が続く下り。
下っても下ってもまだ着かない。
ところどころ地盤がゆるい箇所もあったりで、疲れとともに膝がガクガクしてくる。『水晶小屋』を出発するときが涼しかったせいで飲料用の水は500mlのペットボトルを2本しか用意しておらず、2本目の飲料水がいよいよ心もとなくなってきた。千葉のEさんは水が無くなったら自分のをあげるよと言ってくれたが、なんだかここで貰ったら “準遭難” のようにも思えて、自分の準備不足が恥ずかしくなった。
14:00を少し過ぎたころ、赤牛岳山頂を出発してから4時間とすこし、ようやく『奥黒部ヒュッテ』が見えたときは疲れとともに言葉に出来ない達成感につつまれた。

ようやく奥黒部ヒュッテに到着。
「あぁやっと着いた…、長かったァ。」
ほんとうにそんな感じである。
高度的にも『水晶岳』からおよそ1,400mも一気に下りてきたのである。幸いなことにこの日は行動中は雨に降られなかったのが良かった。途中転んでしまって膝を擦り剝いたため、少し遅れて千葉のEさんも無事にヒュッテに下りてきてお互いを労った。ヒュッテ前のホースから出ている水のおいしいことといったら言葉に出来ないものがあった。到着したそのヒュッテにてテント泊の受付をして、食料を調達してからすこし離れたテント場にて本山行2回目のテント設営をした。

テントサイトの雰囲気もよい。

森の中に溶け込むようなヒュッテの佇まい。
これまでの疲労と、『読売新道』を下って来た疲れのため、テント設営後は簡単な夕食としてヒュッテで買った “緑のたぬき” とドライフードを食べた後は翌朝まで泥のように眠りこけた。結局この日も天候に見放され朝からガスガスではあったが、行動中は幸いにも雨には降られず幸運であったとも言える。しかし夕方以降はふたたびテントの屋根を叩く雨の音が聞こえ、それはしばらく続いていたようだった。
・1泊あたり2,000円(一人)
・予約は不要
・テントに付けるタグ等は無し
・水場はヒュッテの横からおいしい水がじゃぶじゃぶ出ている
・トイレは小屋横のトイレを使用(今まで利用したトイレで最もキレイだった)
・展望はないがフラットな砂地で渓流のBGM付き
・場所が場所だけに利用者も少なめで静か
・テント泊でも空いていればヒュッテのお風呂に入れることがある
詳しくは下記の奥黒部ヒュッテの公式HPをご覧ください。↓
奥黒部ヒュッテのご案内
Day5 奥黒部ヒュッテ~平ノ渡し~五色ヶ原
昨日につづいてこの日も本山行の核心部の日。
いよいよ渡し船を利用して『黒部湖』の対岸に渡るのである。
簡単な朝食を済ませた後にテントを撤収したのち、7:00にふたたび千葉のEさんとともに歩き出した。すこし遅いような歩き出しであるが、それは渡し船の発着時刻に合わせるためである。いちばん早い便は針ノ木谷側を 6:20に発つ便があるが、このキャンプ地から渡し場まで2時間を要する。つまりこの便に乗るには余裕をもって少なくとも4:00にはテント場を出なければならない。初めての登山道、しかもそこを夜も明けきらない時刻に出たくはなかったので我々は次の10:20発の便に乗船することにしたのである。もちろんそれは安全登山が目的であるが、なにより周囲の景色や朝の雰囲気を味わいながら歩きたかったからである。

まずは大きな沢を渡る。

荒々しいがしっかりと整備された登山道。
登山地図上ではテント場を出た後に少ししてから黒部湖の縁を縫うように歩く、高低差も少ないなんてことの無いコースに思えたが、それがどうして、なかなかタフな登山道であった。登降や距離自体はそれほどでもないが、丸太を使った手作り感満載の梯子の連続である。これでもか、これでもかと出てくる。もちろんしっかりと整備はされているので怖さはないが、踏み外したら深い谷まで落ちてしまう。

足場をよく見て慎重に進む。
さらにこの辺りはクマの生息地とよく言われているので、そのあたりも緊張を強いられて、精神的にもかなり疲れた。じっさい、先行していた親子連れパーティが前方の方で大声を出したり、火薬を鳴らしていたので、登山道でクマにでも遭ったのかと思って我々にも緊張が走った。クマ用のスプレーを持参していた千葉のEさんに先頭を代わってもらい、私は私でザックにくくっておいた非常用としていたストックを持って、ゆっくりとその前方のパーティに近づいて行った。

美しい黒部川、黒部湖を眼下に歩いてゆく。

高巻きの細い登山道が続く。
その後も美しい黒部湖を左手に望みながら注意しながら歩き、無事にコースタイムどおりに『平ノ渡し場』に着くことができた。船着き場ということでなにか乗船のために待機できるように広くなっているかと思いきや、船に乗船するための梯子が湖に下ろされている以外は何もなく、湖に面しているガレ場でザックを下ろして待つことになった。良かったのは待機中に雨に降られることもなく、直射日光にさらされることもなく船を待つことができたことだ。

突如として『平ノ渡し』に着いたことを知らせる運航時刻表。
しばらく待っていると10:00過ぎに対岸を出発したであろう船がやって来た。対岸からの乗客は3人で、あとは船員の方が3人乗っておられた。出発の10分前から我々も乗船し船員の方々の指示の下、救命ジャケットを着用し、その後に乗船名簿に記入した。この便には先ほどの親子のほか、我々含めて計7人の乗客であった。

素っ気ない渡し場に、

渡し船がやってきた。
乗船時間はわずか5分ほど。
湖面を吹き抜ける風がとても気持ちよく、登山中にもかかわらず『黒部湖』の遊覧を楽しんだ。対岸の船着き場を経て『平ノ小屋』には10:30に着いて、そこでトイレをお借りした。なにか今夜分の食料も調達しようと思ったが、残念ながらこの小屋には食料は置いてなくて、しかたなくコーラだけを買ってすぐに飲み干した。

乗船時間は5分ほど。

渓流釣り愛好家の基地とも言われる『平乃小屋』。
・運賃は無料
・1日4~5便程度(時期により変動)で左岸と右岸を往復する
・乗船時間は5分ほど
・船舶の定員は12名(船員含む)で、店員オーバーのときは複数回の往復運航となる
・気象状況などで運行が中止されることもある
・特に右岸側(針ノ木谷側)には小屋等は無い(針ノ木谷コース方面に避難小屋あり)
・時刻表が下記の大町市公式観光ガイドに掲載されています(2026年度) ↓
信濃大町なび|信濃大町の『山』を楽しむ
この小屋にて3日目のお昼からご一緒してきた千葉のEさんとお別れした。私はこの小屋から『五色ヶ原』まで高低差およそ1,000mをふたたび登り返さねばならない。ただこの区間の登山道は『読売新道』とは違いとても歩きやすかった。きつい登りではあるが幸い暑くなくてよかったが、開けた稜線に近づくほど天候はしだいに悪くなり、ついには雨が降って来てしまった。すぐにカッパを着て歩き始めたが14:00少し前、この日の目的地である『五色ヶ原』のテント場に着くころには本降りの強い雨風となった。もはや土砂降りである。
結局この『平ノ小屋』からここまでの区間、いっさい誰にもお会いしなかった。

『平乃小屋』からしばらく登って刈安峠。

途中から雨の中、1,000m登るとそこは天上の楽園。
このテント場からいったん山荘までもうひと踏ん張り登って雨の様子を見てから再びテント場に戻ろうかと思ったが、疲れていたし、なにより面倒なので仕方なく土砂降りのなか本山行3回目のテントを立てることにした。ここ数年、天気に恵まれ雨天の設営をしていなかったこともあって久しぶりに辛かった。しかも雨対策が不十分であったことが祟って、ほぼすべての荷物がずぶ濡れになってしまった。そもそも講じた雨対策が十分であったことは今まで一度もないが…。

ミスティな五色ヶ原山荘。
雨が弱くなったところを見計らって傘を差して山荘へと15分ほど登り、テント泊の受付に行った。受付と食料の買い物を済ませてから、ここでこの夏も働いている山仲間、写真仲間であるHさんとお会いすることができた。少しのあいだ仕事を抜けてもらってお話しもでき、お菓子までいただいた。実はこんな天候なのでテント泊から山荘泊に変更しようかと思っていたが、この5日間でそこそこ豪遊(?)してしまったため微妙に宿泊費が足りなかったのは恥ずかしかった。
テント場に戻ってからは簡素な食事を摂ったあと、改めて安堵感につつまれた。この『五色ヶ原』には幾度となく来ているし、テント場の雰囲気も好きで何度もキャンプしているお気に入りの場所である。本山行の計画時に、この『五色ヶ原』に到達すればこの山行はほぼ完遂したと言っていいだろうと思っていたから、私にとってここにたどり着けたことへの安堵感はかなり大きいのである。風雨のため景色はまったく望めなくて残念だったが、それよりもこの地まで自らの足でたどり着いたことに対する嬉しさが大きかった。
この時点で計画通り最終日となる明日の下山時刻を逆算して、新幹線の予約を入れた。こんな天気でもテント泊客は意外と多くて、少なくとも20張以上はテントの花が五色に咲いた。
そうか、今日は週末の土曜日である。
長く山に入っていると曜日感覚がにぶってしまう。
この夜もテントを叩く雨音と風の音を聞きながら、いつしか眠ったようだ。
・1泊あたり2,000円(一人)
・五色ヶ原山荘から15分ほど離れている
・トイレはテント場にあり
・水場はトイレの建物の下にある(水不足のときは枯れているときもあるので山荘に要確認)
・高山植物が咲き誇る別天地にあり素晴らしいロケーション
詳しくは五色ヶ原山荘の公式HPをご確認ください。↓
五色ヶ原山荘|北アルプス 立山 五色ヶ原
Day6 五色ヶ原~室堂
幸い朝には雨は上がっていた。
しかし残念ながらガスも濃くてきれいにはこの高層湿原の美しい景色は見れなかったが、それでも時折ガスの切れ目から『獅子岳』が少しだけ顔を覗かせていた。昨日あんなに多くいたはずのテント泊客も早々に撤収して、私は最後のほうになっていた。

最終日の朝は雨が上がってくれた。
いよいよこの日が縦走の最終日である。
慣れ親しんだ室堂への道とは言え、これまでやって来た登山とはまったく気持ちが違う。今回は新穂高からここまで歩いてきたのである。昨日の雨でびしょ濡れになった荷物は重みを増し、そしてこれまでの5日間の思い出を増し、いっそう重く感じた。

ザラ峠を越えて…。

雪渓を渡る場面も。
6:30過ぎにテント場を出発し、ザラ峠へいったん下りて、そこから『獅子岳』への激登り。しかし今回ばかりは5日分の疲れも溜まっていたので慌てずゆっくりと一歩一歩踏みしめるように登った。進むにつれ行き合う登山客も次第に増えてきた。
『獅子岳』を登りきり、つづく『鬼岳』を巻くように登ったあたりでライチョウが一羽待っていてくれた。そこからは『龍王岳』の直下まで再び登り本山行での最後のピーク『浄土山』へ。あとは転げるように室堂まで下った。
賑やかな室堂バスターミナルを眼下にしたとき、無事にここまで自らの足でたどり着いたことに改めて安堵した。

ついにゴールの室堂バスターミナルが見えた!
そのまま室堂ターミナルはスルーして『みくりが池温泉』まで直行し、すぐに “立ち寄り湯” と “カツカレー” を頂いた。白濁した温泉に疲れ切った身を沈めながら本山行を完遂できたことを素直に喜んだし、すべての予定をその計画通りにやり遂げたことを誇りに思えた。

みくりが池温泉に立ち寄り、

温泉とカツカレーをいただく。
そう、あの雨の『鏡平山荘』にて、
窓の外を眺めながら引き返そうかと思った自分。
でも先に進もうと決心した自分。
あのときの “決心” が、
ここまで自分を連れてきてくれた。
山行中、いろんな人に出会った。
いろんな話をしたし、
一緒にも歩いた。
そのすべてがこの山行を形成した。
私だけの力ではない。
それが人間の力だし、
山の力というものなのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は室堂ターミナルから『美女平』にむかう立山高原バスに揺られながら、夢うつつであった。

本山行のログ(YAMAPより転載)
終わった。
すべてをやり遂げた。
いまは感謝しかない。
山中にてお会いした方々、アドバイスを頂いた方々、そして山や動植物たち、そのすべてに。
登山を始めて、そして本格的に北アルプスに入山し始めてから何年たっただろうか。それでもいまだにこうやって初めて見る山の光景に出会えるし、いつも新しい発見や出会いがある。
私はまだ北アルプスのほんの少しの側面しか知らない。
あぁ、なんて懐の深い山域だろうか。

立山黒部アルペンルートと富山地方鉄道を乗り継ぎ、電鉄富山駅に。
本山行の撮影について
撮影も“体験”を重視
さて、本記事の最後の方になってしまったが、本山行はそもそも撮影を主としない目的であった。前編で取り上げた通り、私はここのところ写真として残すよりも己の “心” に残すためにより多くの “体験” を重視したく思っている。
たとえば今までのようなスタイル、カメラ数台や交換レンズ、三脚、各種フィルターやフィルターホルダー、バッテリー、ポタ赤などを担ぐスタイルでは今回の山行は到底成し得なかった。担げたとしても撮影そのものが登山目的であるがゆえに、たとえば山荘や小屋で出会う人々と楽しくも貴重な時間を過ごすことはなかったろうし、それこそ野鳥のささやかな囀りや山の匂い、風やガスの微妙な変化、登山道の細かな起伏などには気付かないことが多かった。
そういう観点から今回はカメラを一切持っていかない、という選択肢も考えた。しかし1台だけはやはり持っていくことにした。それが中判フィルムカメラ『PANTAX 645n』であった。
ちなみに本山行記事に掲載されている写真はすべて山行中にスマホで撮影したデータを使用しているが、どうであろうか?この程度の山行記事であればもはやスマホのカメラ機能で事足りるのである。
デジタル写真について思うこと
昨今のデジタル写真は、ある意味においてなんでもアリである。ご存じのとおりAI技術の発達により、個人的にデジタル写真は過渡期を迎えているように感じる。デジタル写真黎明期からの指数関数的な各種メーカーたちのしのぎを削るような開発により、いまやデジタル写真の進化は伸びきっているように私は感じるのである。つまりその進化にもはや我々人間の目は追いつけず、その差の違いは分からないのである。例えるならば、飛行旅客機が発明されてから飛躍的に人間の行動範囲は広がったが、その後は安全性や快適性くらいは進化したが、目的地に着くまでの飛行時間はいまや頭打ちになっていて進化がないのと似ている。
そこに出てきたのがAI技術である。
もはやその写真の真偽すら人間の目にはわからない時代である。
たとえばモルゲンロートという分かりやすい山岳写真のひとつのテーマをとっても、以前はそのタイミングが現れるまで粘って山に籠ることもある。しかし少し大袈裟かもしれないが、AIの技術を駆使すればいくらでもモルゲンロートを作り上げることができる。しかもその真偽に人間の目がもはや追いつかないのである。そういうことを考えているうちに、私はデジタル写真そのものの価値が分からなくなってしまった。
反論を承知で述べるが、デジタル写真はそもそもRGBのベイヤーセンサーを使った疑似的な “予測写真” の側面がわずかながらある。それぞれのピクセルが隣のピクセルの情報をもとに予測または補完しあっている。もちろんベイヤーセンサーを使用しないカメラであればその真偽性はより真実味を増すが、その後のデジタル処理で最終的には撮影者や処理者の理念にすべて委ねられる。
フィルム写真で残す意義
自然はすべて化学反応で成り立っている。
先述のモルゲンロート現象も自然科学の分野における、大気の化学反応の結果である。稜線を這うように漂うガスも、山に咲き誇る美しい花々も、極論を言えば山で偶然出会う人々とも実は化学反応の賜物である。
フィルム写真も化学反応である。
デジタル写真は化学反応ではない。
化学反応に嘘や予測は存在しえない。
化学反応は少なくとも我々の住むこの世界においては嘘偽りではない “結果” や “現象” であって、そもそも結果自体が噓偽りではないからこそ生まれるのである。
私は今回の山行にてフィルムカメラを手にすることにした。単純にいまはデジタル写真への興味が薄れてしまったからだ。しかも装填したフィルムはもはや “絶滅危惧種” と言っていいコダックの『エクタクローム E100』である。ネガは確かにアナログ然とした写真であるが、スキャン等では何かしらのデジタルの要素も入る余地が多い。もちろんネガからの手焼き写真の直接鑑賞は純度100%であるが、それ以外は実はデジタル処理が入る場合が多い。

もはや絶滅危惧種のコダック『エクタクローム E100』
それに比べてポジ(リバーサル)フィルムはデジタル処理が一切介在しない (と思われる)。それはすべて化学反応の賜物である。鑑賞はライトボックス上においてルーペで行うか、スライド投影で行うかである。化学反応によって引き起こされた山岳風景を、化学反応で残るフィルムで残すのは理にかなっている。今回はそう思って中判フィルムで撮影することにした。
もちろん今後もフィルムと並行してデジタル写真も撮るつもりではいるが、今回はとくにそのような心持であった。
しかも今回はスナップで何気ない山の表情だけを積極的に撮影しようと努めた。雄大な風景やマジックアワー的な時間帯、ガスが躍動的なシーンといった、いわゆるカメラを三脚に据えて撮るようなこともしなかったし、あるテーマを設けてそれに沿って撮影したわけでもない。私自身そういう堅苦しい撮影にはもう興味を失っていた。それだけが山の写真、山岳写真ではないはずだからだ。
今回は『エクタクローム E100』を5本持っていき、6日間ですべてを撮り切った。もちろん下山後に現像に出すが、私はその写真を本ブログはおろかネット上に公開するつもりはない。だが、私にとってその原版フィルムは一生の宝物となるだろう。本物の宝物とは、他人に見せないのである。そして本山行の “体験” という何物にも代えがたい宝物は、己の中にこそあり、このようなブログやSNS等を通して他人には決して伝えられないものであると思う。
本記事は以上になります。
前編および後編と長くなりましたが、最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
よき山ライフをお過ごしください。
2026年8月某日 TenMa
おまけ(富山観光とグルメ、テント破損)
富山駅周辺だけのプチ観光
富山地方鉄道の『電鉄富山駅』に着いてから、あえて新幹線の乗車予約時刻を遅くして観光らしいこともやってみた。というのも今までは立山には車で来ていたから、わざわざ富山の中心部、富山駅の周辺というのは歩いてみたことがなかったからである。
とは言っても身体はこの6日間でボロボロだったので、駅周辺を少しだけ見て回って、後は富山グルメを堪能しようという作戦である。

富山駅周辺を散策

北陸を中心として有名な『氷見きときと寿し』
富山もそのひとつなのだろう。
まさに私は “おのぼりさん” で、駅のコインロッカーにザックを押し込んでからそのおしゃれな富山駅周辺をかるく散策しながら街の景観を楽しんだ。その後、友人のおすすめもあってまずは『8番ラーメン』で空腹を満たした。(食べた後に分かったが『8番ラーメン』はお隣の石川県の県民食、いわゆるソウルフードであることが分かって、富山グルメとしては実は微妙であった…)
その後は富山と言ったらやはり海の幸ということで『氷見きときと寿し』に立ち寄って数皿をかるく平らげた。登山で疲弊し、その空腹を満たすにはこれでもまだ足りないくらいであった。
『SLドーム』穴あき
今回の山行にて初投入した『SLドーム』であるが、本山行での2回目の設営となった『奥黒部ヒュッテ』のテント場にて、本体の側面にほころび程度ではあるが小さな穴が開いていたのを発見した。もちろん初張のときは無かったものであるから、その後に私の使い方が雑であったから開いたものと思われる。

本体の繊維に沿って穴が開いてしまった。
このテントは生地が薄いがため軽量である分、扱いには慎重さが必要とされる。実際にアライテントの公式HPにある製品ページには “ビギナーにはおススメしづらい” 旨の注意書きがある。私は『エアライズ2』を初めてのテントであったエスパースのテントからの買い替えで手に入れてから、ずっと買い替えせずに使ってきた。もちろんフライの縫い目を保護しているシームテープは経年劣化で剝がれ始めているし、岩場での擦れのため本体底面は細かな穴は開いているし、フライの出入り口にアイゼンの爪を引っかけてしまって穴を開けたこともある(リペア用の生地で補修済み)。しかし本体の側面に穴が開くということはなかったし、実際に破損などせずずっと使えてきた。その耐久性は素晴らしいと思っている。
山岳テントはその過酷な環境からどうしても雑に扱ってしまう場面も想定されよう。下界のキャンプ場とはそこが大きく違う。しかしわずか1、2回の使用で穴が開くとは思いもしなかった。もちろん穴といっても使用できないような穴ではないし、大勢に影響はないが少しだけ残念な気分になった。少なくともメーカーが言われている通り『エアライズ』よりも慎重に扱わないといけないことはよく分かった。反省。




